バチカンから見た世界(69) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)

「国家が雇用(職場)ではなく、所得を保障する」という政策を批判する記事の中でコリエレ紙は、市民の所得を保障するために一大税制改革を実行し、オンライン企業の所有者、金融界の大企業、税金を逃れている富裕層から税金を取り立てるのが、五つ星運動に残された「唯一の道」と論評する。また、18世紀に英国の経済学者アダム・スミスが『国富論』を著したが、その「アダム・スミスの時代」から約3世紀が経った今、諸国家の富の大部分は、中央銀行が印刷する紙幣であり、「それは架空の富である」と指摘。現在のポピュリズム政権は自らを「変革の政府」と標榜(ひょうぼう)しているが、「真に『変革の政府』を唱えるなら、富(金融)と労働の関係を引き裂くことをやめ、縮小する大目標を掲げるべきだ」と示した。その上で、ローマ教皇フランシスコが、同国の経済紙「イル・ソーレ・24オーレ」のインタビュー記事で示唆しているように、「『経済の金融化』と闘うレッスンを受け入れるべき」と提案している。

教皇のインタビュー記事は2ページにわたって掲載され、経済と金融、労働、社会について語っている。この中で、教皇は「人間を根源としない活動は存在しない」としながら、「実体経済に比べ、金融が中心となっている状況は、偶然ではない。こうした状況の背後には、金儲けは金でするものという間違った考え方を選択する者がいるからだ。お金とは、真のお金とは、労働によって得られるものだ」と主張している。その理由として、「お金ではなく、労働によって人間は尊厳性を与えられるから」であり、「欧州諸国で問題になっている失業は、金融と呼ばれる偶像を中心に置いたため、雇用を創出できない経済システムになった」からだと述べている。

さらに、教皇は、「(金融と呼ばれる)偶像は、われわれよりも狡猾(こうかつ)」であるから、「神はわれわれに、蛇のように狡猾で鳩のように善良であれ、と示している」と強調。「現在、われわれの経済システムの中心には(金融という)偶像があるが、これは良くないことだ。経済の中心に、家庭や人間が置かれるように、そしてまた、希望を失うことなく前進していけるように、全員で共に闘っていこう」と呼び掛けている。

同時に、企業が共同体としての役割を果たし、世界が人間の全体的な発展をなす経済を取り戻すには、「富の分配、企業の地域への貢献や社会的責任、企業内福祉の充実、報酬における男女平等、ワークライフバランス、環境の尊重、機械よりも人間が重要であるとの認識、正当な労働報酬、刷新に向けた能力の必要性」といったテーマへの考察が必要だと、教皇は訴える。