食から見た現代(24) つながる居場所に  文・石井光太(作家)

写真はすべて「ゆっくり」提供

近年、若い人たちの間で摂食症(摂食障害)が増加の傾向にあり、コロナ禍以降は高止まりがつづいている。

摂食症は「拒食症(神経性やせ症)」と「過食症(神経性過食症)」に大別される。やせを伴う場合は、BMIの数値が一つの基準になる。BMIの値が18・5以下で「低体重」と分類され、深刻なのがBMIの値が15以下(身長160cmで体重30kg台)だ。ここまで体重が下がると、入院を含む専門的な治療が不可欠になる。

冒頭で若者の間で増加と述べたが、日本最大規模の小児病院である国立成育医療研究センターによれば、2024年度の拒食症の初診外来患者数は2019年度比で1・5倍、新規入院患者数は1・4倍になっている。つまり、小児の年齢に当たるくらいの若年層の間でも増加しているのである。

以前、私は国立国際医療研究センター国府台病院に設置された、専門の相談窓口「摂食障害全国支援センター:相談ほっとライン」を取材したことがある。その際、河合啓介医師は次のように話していた。

「摂食障害は、一時代前まで10代後半から20代の女性に見られるものでした。ところが十数年くらい前からどんどん若い子たちの相談が増えてきて、最近は小学生でも珍しくなくなっています。一つの要因として考えられるのがスマホの普及です。SNSによって、小学生の間にも『やせている=美しい』という価値観や、過度なダイエット情報が簡単に広まってしまっているのです」

実際にインスタグラムなどには、インフルエンサーが細い体型をアピールしてたくさんのコメントをもらったり、アプリによってやせたように見せた画像が出回ったりしている。

中学生以下の子どもたちがスマホでそうした画像に触れ、感化されることも少なくない。その中の一部の子どもたちがネットに溢(あふ)れる危険なダイエット情報にアクセスするなどして健康を害するレベルまで体重を落としてしまうのだ。

厄介なのは、こういう子どもたちはやせていることを美徳としているので、リスクに無自覚である点だ。明らかに健康を害する状態に陥っているのに、周りからそれを指摘されても危機感すら抱けないこともある。

患者の増加に伴い、東京や大阪など大都市には摂食症の専門の病院ができはじめているものの、地方ではまだ十分とはいえない。地方の現場は、増加する摂食症の当事者にどう対応しているのか。

福井県で活動する自助グループ団体「ゆっくり」の代表・林美紀氏に話を聞いた。

 

ゆっくりは、2014年に林氏が設立した民間の団体だ。自助グループとは、摂食症の当事者や経験者がコミュニティーをつくり、そこで自分の体験を語ったり、人の話を聞いたりして回復への道のりをつかむことを目的としている。

林氏によれば、福井県には長らく摂食症を専門に扱う医療機関がなかったという。しかし2023年に厚生労働省が行った摂食障害治療支援センター設置運営事業によって、福井大学医学部附属病院が指定を受け、「摂食障がい支援拠点病院」を開設した。

支援拠点病院では、摂食症の患者の治療の他に、家族支援、医療機関への助言・指導、関連機関との連携、啓発活動など幅広い活動を行っているものの、現在は需要過多になって供給が追いついていないそうだ。

林氏は言う。

「支援拠点病院ができる前は、摂食障害を診てくれる病院はもちろん、正しい情報を手に入れることすら難しい現状がありました。体重が減って体調が悪いから町の内科クリニックへ行くとか、家にひきこもったから精神科クリニックへ行くといった形で対処していることが多かったんです。

福井に拠点病院ができたことは大きな一歩ですが、今は患者が多すぎて対応しきれていない状況にあります。せっかく摂食障害を自覚して病院へ行っても、診察まで3カ月待ち、6カ月待ちといったことが起きている。

うちの団体は、病院にうまくつながれない人、あるいは病院だけでは十分でない人の受け皿という位置づけになっています。支援拠点病院では手の届かないところを、町のクリニックやうちのような当事者団体が支え合っているのです」

もともと林氏自身も摂食症で苦しんだ経験がある。

1975年生まれの彼女は、子どもの頃から親との関係で寂しさを感じることがあった。6歳と7歳離れた弟妹がおり、母親が二人にかかりきりだったため、人一倍いい子を演じて家のことを何でもかんでも担うことが多かった。いわば、親の愛情を一身に浴び、心を潤せるような子ども時代を過ごせなかったのである。

こうした経験から、林氏は自分に自信を持てず、自己否定感を膨らまして育った。小学生の頃から極度のストレスによって自分の髪を抜く抜毛症に悩まされ、思春期になると過食症が現れた。さらに高校生の頃には、人間関係のトラブルも重なって拒食がはじまった。

林氏は当時の心境を語る。

「あの頃の私は、毎日がつらいという気持ちで一杯でした。何がつらいのかはわからないんです。とにかく苦しい、寂しい、悲しいという心境で、生きている意味が見いだせず、できることなら死にたいと思っていた。それで気づいたら、摂食障害になっていたんです。

たぶん、心のつらさを言語化できないモヤモヤを過食や拒食で晴らしていたんだと思います。たくさん食べて吐けば、なんかそれが和らぐ感じがして、どんどん止まらなくなっていったんです。

一方で、拒食でやせて動けなくなれば、家族に心配してもらえるという歪(ゆが)んだ気持ちもありました。家にひきこもる言い訳にもなった。不健康と引き換えに、そんな安心感みたいなものを得ていたのです」

彼女のように過食と拒食でそれぞれ別の意味合いがあるという人も少なくない。過食の時は「食べて吐くことで不安を解消したい」という願望があり、拒食の場合は「死にたいから食べない」「やせていれば社会に出て人と付き合わずに済む」という願望があるという具合だ。

林氏が摂食症を自覚したのは高校2年の時だった。健康診断で42キロあった体重が20キロ台にまで落ちて月経も止まっていた。この頃は専門の病院がなかったため、内科を受診することになったが、それでも長らく病気に苦しみつづけた。

少しずつ回復に向かったのは、30歳で出産してからだった。子どもから必要とされることによって、「私は人から求められているんだ」「子どものために死んではいけないんだ」という気持ちが膨らんでいった。それが摂食症を徐々に落ち着かせていくことになった。

自助グループ・ゆっくりを立ち上げたのは、30代の終わりだった。

林氏は20代の頃から母親に誘われて摂食症当事者の両親などを対象にした家族会「バンビの会」に参加していた。ある日、そこが主催する講演会で自分の体験を話す機会を得た。聴衆の前で自身の体験を話すと、参加していた医師に声をかけられ、経験を活かして自助会を開催してみてはどうかと打診された。

この頃、福井県には摂食症の自助グループは皆無だった。自分以外にもたくさんの患者がいるのは揺るぎようのない事実だ。その当事者だけが集まり、悩みを打ち明けられる場があれば、どんなに楽だろう。彼女は20年くらい孤立無援で摂食症に苦しんでいたことから、その必要性を痛いほどわかっていた。

そしてすぐに林氏はバンビの会と連携し、そこにかかわる当事者と共に自助グループ・ゆっくりを開設したのである。