栄福の時代を目指して(12) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

画・国井 節
「文明の衝突」構図の明確化
世界秩序の巨大な変動が私たちの眼前で進行している。本連載でも言及したように、トランプ政権における「アメリカの帝国化」により、アメリカと欧州が分断され、中国との関係が悪化した。これによって、西洋文明が分裂するとともに、中国・ロシアという大文明との緊張関係が高まった。3帝国と共和国連合という構図ができたのである(第6回参照)。さらに、インドは最近アメリカと友好的だったにもかかわらず、高関税をかけられたために、アメリカに背を向けて、中国・ロシアと急接近した。
またイスラエル・イラン(12日間)戦争で、イスラエル・アメリカとイスラーム文明の衝突が深刻な状態になり、核戦争の危機すら生じた(第11回〈前編〉参照)。続いて、イスラエルのガザ攻撃が住民たちに(意図的な)飢餓や死を招き、大量虐殺(ジェノサイド)であるという非難が、スペインを筆頭とする欧州諸国やオーストラリアで巻き起こり、国連人権委員会の独立調査委員会ではジェノサイドと結論する報告書を公表した。そこでフランスのパレスチナ国家承認の意向決定に始まって、イギリスが21日にパレスチナを国家承認し、ポルトガル、カナダ、オーストラリアなど10カ国以上が続いた(朝日新聞、9月25日)。
一方で、イスラエルのネタニヤフ首相は大イスラエル構想の支持を公言した(8月12日)。これは、ソロモン時代のイスラエル王国の領土を回復しようというもので、ヨルダン、レバノン、シリアの一部も含まれるから、周辺諸国の猛反発を招いた。
そして9月9日には、アメリカの同盟国カタールの首都ドーハに停戦交渉のため滞在していたイスラーム組織ハマス指導部を空爆して5人を殺した。ガザ停戦交渉で仲介役を務めていたカタールは、当然、憤激して非難した。国連でも理事国すべてが合意して空爆非難声明が採択された。
にもかかわらず、イスラエルは9月15日ごろからガザの地上侵攻を開始した。国連安保理は、即時・無条件の停戦を求める決議案を採択しようとしたが、アメリカの拒否権で成立しなかった。他にも、イスラエルは南シリア、東レバノン、イエメン(フーシ派)などの近隣地域を次々と攻撃している。
国際人道法・国際法違反の可能性が極めて濃厚で、政治的・倫理的には無法国家という批判が国際的に高まり、中国やロシアもしばしば国際法違反を強く非難している。ネタニヤフ首相らに対しては2024年11月に国際刑事裁判所から逮捕状が発行されているが、さらに国連人権理事会の調査委員会も今年、首相はじめ指導者たちを処罰の対象にすべきだと明記した。イスラエルに対する経済制裁や閣僚に対する制裁を行う国も現れており、アイルランド大統領(マイケル・D・ヒギンズ)などから国連や国際機関から排除すべきという発言がなされている。
アメリカのトランプ大統領は時にネタニヤフ首相の攻撃策に不満の色を見せつつも、結局はイスラエルを支援し続けている。このため、これまでアメリカに友好的だった中東諸国が離反し、対イスラエルで結束し始めた。このため、イスラエル・アメリカに対して、中東諸国、ロシア、中国、インドが連携するという構図が急速にできた。(欧州を除いた)ユダヤ・キリスト教文明と、他の大文明のほとんど全てが対峙(たいじ)することになってしまったから、まさしく「文明の衝突」の構図が明確になってしまったのである。
「文明の再編」への動向――多極化とイスラーム諸国
それと同時に「文明の再編」へと向かう動向を象徴的に表す国際会議も次々と開催されている。まず、中国・天津で開催された上海協力機構の首脳会議(8月31日、9月1日)だ。2001年の発足以来最大規模となり、習主席、プーチン大統領、モディ首相らが和やかに握手をして、欧米主導の国際秩序に対抗して、中ロ主導の国際的連携が映し出された。
続いて、9月3日には中国・北京で対日戦勝記念式典が行われ、中ロ首脳に北朝鮮の金正恩総書記が加わってパレード観覧に向かった。この二つの式典は、中ロを中心に、西欧に対する国際的連携が加速していることを表しており、多極世界への歩みという点で歴史的な式典となるかもしれない。
そして9月15日には、イスラエルのカタール空爆に対して、カタールが緊急アラブ首脳会議をドーハで主催。イランも加わって50カ国以上の首脳が集まり、イスラエルを非難する宣言を出した。
これまではアラブ諸国の中で、アメリカと友好的な関係を築いてきた国々(エジプト、サウジアラビア、湾岸諸国、ヨルダン、モロッコなど)と、距離がある国が分かれていたので、イスラエルがイランを攻撃しても、アラブ諸国が一致して反対することにはならなかった。アラブ諸国が内部で分裂していたわけだ。だから、かつての中東戦争のような大戦争にはならなかった。
ところが、友好的だったアラブ首長国連邦(UAE)、サウジアラビア、エジプト、ヨルダンなどが、イスラエルに抗議したり、アメリカへの不信を表明したりしている。そしてイスラーム諸国が一堂に会して、相互に友好的な関係をつくり始めた。アラブ湾岸協力委員会の共同防衛メカニズムの活性化が議論され、サウジアラビアとパキスタンの間で相互防衛協定が締結された。サウジアラビアが攻撃された場合はパキスタンの核によって反撃するという可能性が生じるから、パキスタンの核の傘に入るわけだ。また、エジプトは、NATO(北大西洋条約機構)のようなアラブ共同軍事同盟を形成するという提案を2015年から行っており、議論が活性化した。
これらの動きが起こるのは、当然だ。これまでは、いざという時にはアメリカが守ってくれると思っていたので、同盟・友好関係を形成していたわけだが、イスラエルが攻撃してもアメリカは守ってくれないという懸念が生じたからだ。そうなると、アメリカに代わるパートナー(中国やトルコなど)を作るか、中東諸国の間で軍事同盟を形成する他ない。
中東における「文明内部の結集」
これは、まさしく「文明衝突」の構図に他ならない。この概念を提起したサミュエル・ハンチントンは、「文明内部の結集」が生じてから、文明の衝突が起きると論じていたからだ。彼は、イスラーム文明には中核国家がない点を指摘していたが、反イスラエルという点での結集が始まっており、それまでの立場の違いを超えて国々が同胞文明の側につく現象が起こっている。現時点では軍事行動にはつながっていないので、共同行動は、言葉での批判だけだ、という人もいる。しかし、イスラエルの暴虐な周辺地域攻撃が続くと、中東戦争のような戦争になる危険もないとは言えないだろう。
もともとは局地紛争(ガザ攻撃)だったが、レバノン攻撃によって地域紛争へと拡大しており、これまで紛争の域外だったカタールへの攻撃によって、戦争となる危険が格段に高まった。まして、(穏健なアラブ諸国が距離をとってきた)イランとアラブ諸国の連携が強まり、イスラエルがイラン攻撃を再び行うと、中東戦争になりかねない。当面は、局地的な応酬が多面的に行われる危険が高いが、これらが複合してしまうと、防衛協定や共同防衛メカニズムにより、サウジアラビアやUAE、カタールなどが紛争に加わることになってもおかしくないからだ。イスラエル・イラン(12日間)戦争でも、イランのミサイルはイスラエルの対ミサイルシステムを突破して多大な被害をもたらしたから、アラブ諸国が全面的に参戦すると、イスラエルにとって致命的な事態に陥る危険もないでもない。
※掲載直前に、トランプ大統領のガザ和平案にネタニヤフ首相が合意した(9月29日)。
上記のような展開を避けるためにも、これを起点にして和平が実現することを祈
りたい。