栄福の時代を目指して(10) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

寡頭政と悪人――州議会議員暗殺事件

即礼君は、翌朝6月14日の土曜日、ニュースを見て衝撃を受けた。イスラエルがイランの核関連施設や軍事拠点に大規模空襲を行い、司令官や参謀総長が死んだという。このまま事態が沈静化するはずがないことは、国際政治に詳しくない彼にも想像がついた。

そしてここから、中東とアメリカで同時並行的に次々と事態が展開していった。その日の内に、アメリカ中西部のミネソタ州では、民主党州議会議員2人とその配偶者の4人がそれぞれ自宅で銃撃されて、女性議員はじめ2人が死亡した。43時間後に容疑者が逮捕されたが、政治的な動機による暗殺だった。

そして、その土曜日、トランプ政権が首都ワシントンで軍事パレードを行って勢威を誇示しようとしたのに対し、全米で「ノー・キングス(王様は要らない)」を掲げた抗議デモが約2千カ所で行われた。推計500万人が参加し、アメリカ史上最大の規模だったかもしれないという。

即礼君は、アメリカと中東の双方のニュースを見て、世界が非常事態に突入したと感じ、この土日から、停戦が一応実現するまで12日ほどの間、次々と入るニュースに釘付けになっていた。中東では、イランがミサイルで反撃し、「アイアンドーム」という名称のように、鉄壁と言われていたイスラエルのミサイル防御網を突破して商都テルアビブなどに大きな損害を与えているようだった。

政治に疎かった彼にも、いずれもただならぬことのように思われた。イスラエルはアメリカに参戦を要請して、当初は断っていたドナルド・トランプ大統領が豹変してB-2爆撃機でイランの核施設を攻撃した。核爆弾の使用も検討されたという。ロシアや中国は厳しくアメリカを非難し、世界は第3次世界大戦に瀕しているという評言がなされていた。

「その通りだったら、私たちは破滅的な危機に直面していることになる。日本は大丈夫だろうか?」

戦慄を感じた彼は、いてもたってもいられない気持ちになって、考えを巡らせた。

「そもそもトランプ大統領は『平和の大統領』を自認して、戦争をしないはずだったのになぜ?」

そう思った時、また「トラギアス」という例の名前がフッと脳裏に浮かんできた。それとともに、戦争勃発の前日に、家を出る前に慌ただしくページを繰ったプラトンの『国家』を思いだした。

「そう言えば、寡頭政の欠点として、プラトンの描くソクラテスは、国が二分されて争いが生じるという点を挙げていたな。州議会議員射殺事件は、争いがついに議員暗殺にまでなってしまったということになる」

彼は、古典の続きを読み直してみたくなった。寡頭政のところを再読してみると、ソクラテスは、貧乏人と金持ちの国に分かれてしまうと語った後で、「戦争を遂行することができない」と述べていることが今度は目についた。武装した大衆を使おうとすれば、大衆を恐れなければならないし、寡頭政の支配者は金銭を愛する人間だから、戦争のための献金をしたがらない、という理由が挙げられていた(『国家』第8巻551E)。

「これは確かに、平和の大統領というトランプの自称に当てはまっているな」

そう思って読み進めると、作中のソクラテスは、没落した「貧民・困窮者」が「雄蜂として一つの家の中に生まれて、国全体の病となる」として、その中の「針のない者たち」からは「年老いてから乞食となって果てる連中が出るし、針を持った者たちからは、悪者と呼ばれる連中の全てが出てくるのではないかね?」と語っていた。この例が「盗人や掏摸(スリ)や神殿荒らし」といった「悪行の専門職人」である。そこで、ソクラテスは寡頭政を「これだけの――おそらくはさらに多くの――悪をはらんだ政体(国制)」と特徴付けていた(552E)。

「考えてみると、議員の暗殺者も、まさしく悪人そのものではないか。ここで言っているのは貧困に基づく悪行だが、トランプ政権の支持派には、経済的に没落した人々が多いと聞くから、その中から政治的犯罪も生まれてくるのかもしれない。ソクラテスも『さらに多くの』悪と言っているから、このような犯罪もそこに含まれるとも見なせるだろう。となると、このような犯罪が生じるのも、ここでいう寡頭政の特徴なのだ。――それでも、この叙述通りだと、やはり戦争志向にはならないけれども」

僭主政と戦争――アメリカのイラン爆撃

これはやはり相違点だと思いつつ、さらにページをめくってみた。ここから、ソクラテスの議論は民衆政に移り、その難点を述べていた。即礼君は、前回に自分がこの作品を見た朝、「民主主義が回復するといいな」と思いつつ時間に追われて家を出たことを思い出した。

この箇所では民主主義の問題点が批判的に述べられていて、そこに違和感があったので、以前は、真剣に読む気にはならなかったのである。プラトンは、ソクラテスが民衆裁判によって刑死したことに衝撃を受けて哲学者になり、当時は民衆政が衆愚政に堕して僭主(せんしゅ=独裁)政に移行したので、民主主義に批判的である。このことを彼は知っていた。そのため、「そういうものか」と思っただけだった。

ところが今回は、議論を追っていくと、民衆政から僭主政への移行が論じられ、「何らかの戦争を引き起こす」と述べられているのに目を引かれた。

「このような人間は、僭主となった初めの何日かの間は、出会う人ごとに誰にでもほほ笑みかけて、やさしく挨拶し、自分が僭主であることを否定するだけではなく、私的にも公的にも沢山のことを約束するのではないかね。そして負債から自由にしてやり、民衆と自分の周囲の者たちに土地を分配してやるなどして、全ての人々に、情け深く穏やかな人間であるという様子を見せるのではないかね」

と述べて、対話相手のアデイマントス(プラトンの長兄)が「必ずそのように振る舞います」と応えると、

「しかしながら、思うに、いったん外なる敵たちとの関係において、そのある者とは和解し、ある者は滅ぼして、その方への気遣いから解放されてしまうと、まず第一に彼のすることは、たえず何らかの戦争を引き起こすということなのだ。民衆を、指導者を必要とする状態に置くためにね」(566E)

と述べるのである。これを読んで、即礼君は「この振る舞い方は、就任当初のトランプ大統領に似ているのではないか」と思い当たった。支持者たちに愛想が良く、経済・生計・雇用の向上を約束している様子をテレビやネットで見ていたからである。

その一方で、時の進行とともに民主党や批判者たちを脅しつつ抑え込んで、イランを攻撃した。「ここには、寡頭政の議論にはなかった参戦という類似性がある」――そう感じた時、彼は反トランプ集会の標語を思い出した。「ノー・キングス」である。

当初の反トランプ集会の標語は、バーニー・サンダースらの言う「寡頭政反対」だった(前回参照)。ところが14日土曜日の大集会の標語は、「ノー・キングス」、文字通り訳せば「王様は要らない」、つまり王政反対となり、史上最高とも言われるような大規模集会となった。トランプ大統領は、選挙で選ばれていて憲法を変えたわけではないから、正確に言えば「王政」というよりも、古代ギリシャでいう「僭主政」に近い。当時の「僭主(テュランノス)」とは、非合法的に独裁政を樹立した支配者のことを指す。今の「専制(ティラニー)」の語源だ。だから、「ノー・キングス」という標語はまさしく「反僭主政」に対応する。「反寡頭政デモ」が「反王政(僭主政)デモ」に変化し、最上最大規模の抗議になったわけだ。

即礼君は、こう思い至って粛然とし、戦争の報道が続く中で『国家』の民主政から僭主政への議論を真剣に読み直したのだった。

プロフィル

こばやし・まさや 1963年、東京生まれ。東京大学法学部卒。千葉大学大学院社会科学研究院長、千葉大学公共研究センター長で、慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科特別招聘(しょうへい)教授兼任。専門は公共哲学、政治哲学、比較政治。2010年に放送されたNHK「ハーバード白熱教室」の解説を務め、日本での「対話型講義」の第一人者として知られる。日本ポジティブサイコロジー医学会理事でもあり、ポジティブ心理学に関しては、公共哲学と心理学との学際的な研究が国際的な反響を呼んでいる。著書に『サンデルの政治哲学』(平凡社新書)、『アリストテレスの人生相談』(講談社)、『神社と政治』(角川新書)、『武器となる思想』(光文社新書)、『ポジティブ心理学――科学的メンタル・ウェルネス入門』(講談社)など。