食から見た現代(17) 食べるのが苦手な子どもたち〈前編〉 文・石井光太(作家)

食べない子どもには、その子なりの何かしらの理由がある。身体機能の他にも、見た目が苦手とか、何だかわからないものを口にしたくないとか、味や感触が嫌いといったことだ。それを親が子どもの立場に立って理解せず、やみくもに食べさせれば、彼らの食への嫌悪感は膨らむ一方だ。
こうした時に大切なのは、親が育児本やSNSの情報に惑わされず、しっかりと子どもの発達段階を見極めることだ。食の成長には「ゴックン期」「モグモグ期」「カミカミ期」「パクパク期」など決まった段階があり、それを一つひとつクリアしていって初めてきちんと物を食べられるようになる。親はわが子の成長に合わせてそのステップをきちんと進めていく意識を持つべきなのである。逆に言えば、情報にとらわれて焦燥感に駆られるあまり、一足飛びに進めようとすると、小さなズレがだんだんと大きくなって、子どもが満足に食事をしなくなる危険がある。
ただし、子どもの食の問題には、病気や障害が原因になっているものもある。それについて小浦氏はこう話す。
「うちの子がそうでしたが、病気や障害などがネックになって子どもが食事を十分にとれないということもあります。深刻な病気や障害であれば早い段階で医療機関を受診して食との因果関係が明らかになりますが、軽度の場合はそうなりにくいというのが現実です。
たとえば、その子が日常生活を差し障りなく営めているのであれば、親はまさか自分の子が心身に問題を抱えているとは考えないでしょう。しかし、親の目には映らないところで、子どもの喉が非常に狭くて嚥下(えんげ)が難しかったり、胃や腸の内臓機能が弱くて食に不安を抱えていたりといったことがあるのです。特に食の細さは、目に見えない口の中や感覚的なところに原因があることも多いので、問題が可視化されにくいのです」
近年多く見られるのが、発達障害による影響だ。発達障害には複数の症状があるが、それらが少食や偏食を生むことがあるのだ。
たとえば、症状の一つに「感覚過敏」がある。視覚、味覚、嗅覚、触覚といった感覚が過剰に反応するのだ。ちょっとした雑音がまるで四方八方で響き渡る爆音のように聞こえるなどといったものがそれだ。
こうした子どもは、食における感覚にも過敏になりがちだ。たとえば、魚の生臭さが腐敗したゴミのように感じられて口に入れることができないとか、ヌルヌルしたものに恐怖を感じて飲み込めないとか、枝豆の緑の色を激しく拒絶して見るのも嫌だといったことが起こる。大半の人には気にならないことが、その人には受け入れ難い問題になってしまうのだ。
また、発達障害の別の症状である行動特性が偏食を生むこともある。たとえば、ASD(自閉スペクトラム症)の人には、物事に対する極度のこだわりがあることが明らかになっている。目的地までまったく同じルートでしか行きたがらないとか、常に同じ物しか身につけようとしないといったことだ。
人によっては、このこだわりが食に向くことがある。同じ場所で同じ手順でしか食べようとしないとか、うどんや白米など毎日同じ物しか口にしないといったことだ。豆腐のような四角いものしか食べないという人もいる。このようにこだわりが少食や偏食を引き起こすのだ。
ただし、発達障害は、人が誰もが持っている特性が通常より大きいか小さいかの違いだ。生活に支障を来すほど重度な人であれば医療機関で診断を受けて食との因果関係も明らかになるが、そうでない子の場合は食の問題が発達特性にあるということを明らかにするのは容易ではない。
小浦氏はつづける。
「本来、乳幼児検診の時に食に関する聞き取りを行い、原因を明らかにするような環境づくりをするのが理想です。でも今の日本はそこがおざなりになっていて、検診で親が相談しても、『いつか食べられるようになりますよ』で済まされてしまうことが多いのです。また、親が食べないことを相談しても、町の小児科クリニックの方が専門知識を持っておらず、診断できないこともあります。
そのため、うちの団体では、食に関する情報を提供するだけでなく、子どもの食を相談できる先生が在籍する病院を紹介しています。時間が経つと、問題がこじれてしまう危険があるので、できる限り早いうちに支援につなげる必要があると思っています」
では、周りからの理解を得ないまま小学校へ上がった場合、どういうことが起きるのか。後編ではそれについて考えたい。
プロフィル

いしい・こうた 1977年、東京生まれ。国内外の貧困、医療、戦争、災害、事件などをテーマに取材し、執筆活動を続ける。『神の棄てた裸体』『絶対貧困』『遺体』『浮浪児1945-』『蛍の森』『43回の殺意』『近親殺人』(新潮社)、『物乞う仏陀』『アジアにこぼれた涙』『本当の貧困の話をしよう』『ルポ 誰が国語力を殺すのか』(文藝春秋)など多数。その他、『ぼくたちはなぜ、学校へ行くのか。』(ポプラ社)、『みんなのチャンス』(少年写真新聞社)など児童書も数多く手掛けている。最新刊に『ルポ スマホ育児が子どもを壊す』(新潮社)。