栄福の時代を目指して(4) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

思想的空洞への知的挑戦

さて、前述のように、20代の時に哲学史をひもといてわかってきたのが、『利害を超えて現代と向き合う』最終回で書いた「学問における根本的二者択一」である。これは、古典古代や中世の哲学のように超越的世界の実在を前提とする思想と、それを否定したり学問の領域外に置こうとしたりする思想との間の二者択一である。

洋の東西を問わず、哲学や思想は、その起源において宗教と密接な関わりがあり、神仏や魂といった超越的な存在や世界を前提にしていることも多く、そのような実在の有無を論じていた。これを「学問類型A」と呼んでおこう。

※感覚や経験を越えた世界を対象にしている学問は、通常、「形而上学(けいじじょうがく)」と呼ばれている。難しい言葉に思えるかもしれないが、簡単に言い換えれば、「超越的世界学」だ。形而上学を含む学問という意味で、学問類型Aは「含形而上学」と呼べるだろう

西洋哲学では、ギリシャ哲学でこの種の議論が始まり、中世にはキリスト教が前提となって、神学とともにこの学問(形而上学)が発展した。しかし近代になって自然科学の展開とともに、超越的存在を否定する唯物論が台頭し、20世紀以降の現代においてはむしろ優勢になった。そして今では、実在の有無を問う議論(存在論)は周辺に追いやられて、あたかもそのような問題は問う必要がないかのように思想や学問が進んでいる。これを「学問類型B」としよう。

※実体のある物質的世界を探究する学問は、形而上学と対比して「形而下学(けいじかがく)」と言われる。現象として現れる物質的世界を探究するという意味で、「現象(物質)世界学」と考えれば、わかりやすいだろう。もっとも、目に見えない世界の探究と、目に見える物質的世界の探究は両立するから、この二種類の学問(形而上学と形而下学)は必ずしも矛盾するわけではない

だから、学問類型Aは、双方を含むことがあり得る。「形而上学+形而下学」という点で、いわば「形而上下学」だ。これに対して、超越的実在を否定するか括弧に入れて、形而下学だけを全てと想定している学問は、研究対象を形而下の世界に限定しているという意味で学問類型Bは「形而下限定学」ということになる。

今の世界においては、この学問類型Bがほとんどになっている。しかし、ここには大きな思想的空洞が存在している。調べて深く考えてみると、「あたかも、(超越的実在の世界を)問う必要がないかのように」進んでいるだけであって、「問う必要がない」という論証や、超越的実在の存在を否定する科学的証明は、どこにもないのである。

これがもたらしたのは、人間の精神的・倫理的・道徳的な後退であり、退廃だ。それは幸福への道を困難にする。今日の近代西洋文明の病弊を論じる時に、この問題を避けて通ることはできない。これは、上述の思想的空洞化の結果なのである。

このトレンドを根本から逆転させるためには、何が必要か。学問においては、哲学の営為そのものから始めて、学知を再構築していくことが必須だろう。このためにこそ、栄福の哲学や学問に挑戦することが重要なのである。

プロフィル

こばやし・まさや 1963年、東京生まれ。東京大学法学部卒。千葉大学大学院社会科学研究院長、千葉大学公共研究センター長で、慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科特別招聘(しょうへい)教授兼任。専門は公共哲学、政治哲学、比較政治。2010年に放送されたNHK「ハーバード白熱教室」の解説を務め、日本での「対話型講義」の第一人者として知られる。日本ポジティブサイコロジー医学会理事でもあり、ポジティブ心理学に関しては、公共哲学と心理学との学際的な研究が国際的な反響を呼んでいる。著書に『サンデルの政治哲学』(平凡社新書)、『アリストテレスの人生相談』(講談社)、『神社と政治』(角川新書)、『武器となる思想』(光文社新書)、『ポジティブ心理学――科学的メンタル・ウェルネス入門』(講談社)』など。