食から見た現代(7) モヤシと白米 文・石井光太(作家)

日本で暮らすベトナム人が過酷な労働環境で働いていることはすでに述べた通りだ。おそらく仕事が重労働であっても、その対価として大金を稼げる仕組みがあったり、定住も含めて将来の生活に希望が持てたりしていれば、ストレスはいくぶん緩和されるはずだ。

だが、現状はこれと真逆のことが行われている。賃金は日本人と比べると信じられないくらいに安く設定され、業務内容も日本人が嫌がってやらないようなものばかりだ。加えて、多くの労働者が定住の見通しを立てられない状況にある。しかも、借金の返済が滞れば、母国に残した家族に取り立てが及ぶことになる。

このような環境の中で、ベトナム人たちが次々と精神を蝕(むしば)まれていくのは想像に難くない。そうやって二進(にっち)も三進(さっち)もいかなくなった者たちが自ら命を絶っているのである。

タム・チー住職は話す。

「なんで若いベトナム人が異常な死に方をしているのか。誰も掘り下げようとしませんけど、彼らの生活環境があまりにひどいのが大きな原因なのは明らかなんです。この責任は三つのところにあります。ベトナムで技能実習生に借金をさせている送り出し機関、それをわかっていて受け入れている日本の管理団体、そして技能実習生に不法な仕事をさせる日本のブラック企業です。

日本政府がちゃんとこれらを取り締まっていれば、ベトナム人はここまで苦しまずに済むはずなんです。それなのに、誰が何を言っても、国はずっと見て見ぬふりをして正してこなかった。これから技能実習制度を新しくすることになっていますが、それだけでは不十分です。

もし少子化の日本で外国人を労働力として呼び込みたいなら、技能実習生のような制度ではなく、正式な労働者として受け入れなければなりません。でなければ、同じことのくり返し。今は世界各国が労働力を取り合っています。円安の時代の中で、今のようなことをつづけていたら、誰も日本に来なくなってしまいますよ」

タム・チー住職の主張は、大勢のジャーナリストや関係者によって、耳が痛くなるほどくり返されてきたことだ。それでも、国は実質的にその言葉を跳ね返し、今後の方針についても当事者が納得できるほどのものになっていない。大勢の若いベトナム人の死は、その結果として起きていることなのである。

では、日本で亡くなったベトナム人は、どのように葬られているのだろうか。タム・チー住職は言う。

「日本政府はあまり力になってくれません。ほんの少しだけお金を援助してくれますが、基本的には日本にいるベトナム人が助け合ってご遺骨にして、国に戻すか、日本のお寺に埋葬しているのが実情なのです」

日本でベトナム人技能実習生や留学生が亡くなった場合、火葬した後に遺骨を本国の家族のもとへ送ることになるが、これには主に二つの方法があるという。

一つは、企業など故人と関係のある機関が、自治体に火葬の依頼をするケースだ。

たとえば、勤め先の会社の寮で、ベトナム人が突然死したとする。故人にも友人にも貯蓄がなければ、企業が費用を負担するか、自治体に申請して十数万の費用を出してもらうかして、簡単な葬儀と火葬を行うことになる。

ただ、自治体が支給する金額には、葬儀と火葬の費用は含まれるが、遺骨を母国へ送る費用は入っていない。そうなると、友人が帰国する際に遺骨を国に持って帰ってもらうか、家族に引き取りにきてもらうかするしかないのだ。

二つ目は、故人の友人が必要な金をかき集め、それらを行うケースだ。

日雇い労働のベトナム人が、プライベートで遊びに行った先で事故に遭って急死したとしよう。彼には特定の所属機関がない上に、労災が下りることもない。そのため、友人たちがフェイスブックなどを駆使して、在日ベトナム人たちにカンパを募り、その金で葬儀や火葬を行い、本国に遺骨を届けるのである。

とはいえ、すべての死亡事例がこれらに当てはまるわけではない。友人がおらずに孤独死するとか、カンパで必要な金が集まらないとか、事情があって実家へ遺骨を送れないといったこともある。

このような場合、関係者は藁をもつかむ思いでタム・チー住職のところへ行き、相談をする。タム・チー住職は彼らの要望を聞いた上で、なるべくそれを叶えられるように善処することになる。

ちなみに、日本にはタム・チー住職のような在日ベトナム人宗教者は他にもおり、個々で同じような対応を行っているそうだ。ベトナム人住職がいる寺院だけで11カ所あるというから、タム・チー住職の見てきた500人以上の死は全体からすれば一部なのだろう。

大恩寺近くの畑で育てた野菜も支援に使われる

タム・チー住職は言う。

「日本に一人でやってきて、働いて生きていくには、モヤシや白米を食べるだけではダメです。それなのに誰も助けてくれない。だから、私たちが苦しい思いをしているベトナム人に、少しでもちゃんとした食べ物を届けて支えたいと思っています。私は日本が好きだし、ずっとここで暮らしていくつもりだから、一人でも多くのベトナム人に日本に来てよかったと思ってもらいたいんです」

日本人の中には、出稼ぎに来て生活に苦しむ外国人を「自業自得」と見なす人もいる。

だが、見方を変えれば、この円安の時代に、彼らはわざわざ日本を選び、懸命に働いてくれている人なのである。実際に彼らなしには日本の社会は成り立たない。

そんな人たちが、モヤシや白米だけを食べ、人知れず亡くなっている現実を、私たちはもう少し深く考えなければならないだろう。

プロフィル

いしい・こうた 1977年、東京生まれ。国内外の貧困、医療、戦争、災害、事件などをテーマに取材し、執筆活動を続ける。『神の棄てた裸体』『絶対貧困』『遺体』『浮浪児1945-』『蛍の森』『43回の殺意』『近親殺人』(新潮社)、『物乞う仏陀』『アジアにこぼれた涙』『本当の貧困の話をしよう』『ルポ 誰が国語力を殺すのか』(文藝春秋)など多数。その他、『ぼくたちはなぜ、学校へ行くのか。』(ポプラ社)、『みんなのチャンス』(少年写真新聞社)など児童書も数多く手掛けている。

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