食から見た現代(5) とろとろのスナック〈前編〉 文・石井光太(作家)
玲子ママは当時の背景を次のように話す。
「嚥下障害の子を持つ親って、食事のことでものすごく悩んでいるんです。お昼に手間暇かけて作った料理をミキサーで粉砕してスプーンで一口ずつあげても、子どもが無反応なのはまだしも、嫌がったり吐き出したりすることもある。それを根気強く我慢して、時には1時間も2時間もかけて食べさせなければならない。ようやく終わったと思ったら、今度は家族の夕飯の準備をしなければならない。そんな毎日を送っていると、食事のことを考えるだけでげんなりとすることも多いんです」
親にとって障害のある子どもの介護の負担は大きい。重度の小児麻痺の子であれば、24時間付き添って痰(たん)の吸引から排せつ物の処理などあらゆる世話をしなければならない。その短い合間に、炊事洗濯などの一般的な家事をこなすことに加え、介護食まで作って食べさせるとなれば辟易(へきえき)するのも仕方のないことだろう。
食事は外出先においてより困難になる。レストランに介護食が用意されていることはないので、冒頭の男子大学生の話にあったように家から持参したものを食べさせるか、店で注文したものをその場でミキサーにかけてペースト状にして食べさせるしかない。だが、それで咎(とが)められることもしばしばあるという。
玲子ママはつづける。
「レストランでミキサーを使うと、騒音が他のお客さんに迷惑だと注意されることがあります。また、介護食を見た他所(よそ)の子から『ゲロみたい』なんて言われることもある。そうした体験が重なると、親は子どもを外食に連れて行くことが嫌になって、外へ出ることすらしなくなってしまいます」
玲子ママがスナック都ろ美の活動で目指したのは、そんな介護食に華やかな彩りを与えることだった。一度ペースト状にしたものを再び加工して、カレー、オムライス、ハンバーグ、お寿司といった食欲をそそりそうな形にして出すのである。
たとえば、オムライスを作ったとしよう。これを丸ごとミキサーにかけてしまえば、得体の知れない茶色いペーストができるだけだ。だが、卵とライスを別々にミキサーにかけた上で、市販のとろみ剤でとろみをつけ、ごはんのペーストの上に、卵のペーストを乗せ、ケチャップで彩って、小さな旗を立てる。そうすれば、外見も、味も、匂いもそろったオムライスが完成するというわけだ。
なぜ、こうした工夫が必要なのか。玲子ママは言う。
「食事ってトータルに楽しむものなので、見た目、香り、味などあらゆるものがそろっていなければならないんです。いくら美味しいハンバーグでも、ドロドロの液体みたいになって、人から無言で口に運ばれても嬉(うれ)しくないですよね。ワクワク感もない。
障害のある子も同じなんです。病院のドクターは栄養価が高く、ちゃんと胃に入る形のものを食べさせろと言います。健康のことを考えればもっともなのですが、子どもにしてみたら、そんな食事には興味を抱けない。
じゃあ、そこにひと手間を加えることで、子どもにとっても親にとっても楽しい食事にしてみようというのがスナック都ろ美のコンセプトなんです。介護食を本物の料理のように形を整えて、『おいしそうでしょー』とか『すごいいい香り』なんて言いながらスプーンで口に運んでいけば、子どもたちは全然違う反応を示します。しゃべれなくても、表情が和らぐし、目が輝く。嬉しそうにしているのが伝わってくるんです」
重度の障害のある子どもであっても、親はわずかな反応から気持ちを読み取ることができる。だから、子どもが楽しそうにすると、自分まで幸福感に包まれるという。
興味深いのは、胃ろうをしている子どもでも、同じような反応を見せることだ。胃ろうとは、口から物を飲み込めない人に、胃に穴を開けてチューブを通し、そこから栄養剤を入れられるようにすることだ。味覚は感じられないはずだが、親が形を整えた食べ物を見せて香りをかがせると嬉しそうな表情をするという。味はわからなくても、香りや色で食を楽しんでいるのかもしれない。
プロの和食料理人と作った介護食で人気なのが、「親泣かせのから揚げ」だ。いくら子どもにから揚げが人気でも、ミキサーにかけられた茶色いペースト状のものでは食欲はわかない。だからこそ、それにとろみを加えてから揚げの形にしたところ、ある親が「うちの子は初めてから揚げ食べました」と涙を流したことがあった。それからこの名前がついたのだ。
玲子ママの言葉である。
「難病の子にとって、食事は生きる楽しみであるべきだと思っています。特にゲームもおしゃべりもできない子たちにとって食事は数少ない幸せを感じられるものでしょう。逆に言えば、もし食事が味気ないものになると、その子の生きているという実感までもが薄まってしまいかねません。私たちが食事に注目し、介護食を少しでもより良いものにしようと思っているのはそのためなのです。食が楽しいものになれば、子どもだけでなく、介護する親の心の持ちようもまったく変わってくるのです」
玲子ママらはこうした介護食を「インクルーシブフード」と名づけ、大学の研究者や企業と組んで様々な商品を開発してきた。特に注目を集めたのが、日本料理店と共に開発した「もぐもぐBOX」と呼ばれるお子様ランチ弁当だ。から揚げだけでなく、スパゲティー、厚焼き卵、サーロインステーキなどをペーストから作り上げたもので、冷凍商品が通信販売されている。これが子どもにもたらす幸福感は計り知れないほど大きなものだろう。
ところで、スナック都ろ美は家族同士のコミュニティーとしての役割も担っている。そこでは介護食の作り方の普及以外にどのようなことが行われているのだろうか。〈後編〉で詳しく見ていきたい。
プロフィル
いしい・こうた 1977年、東京生まれ。国内外の貧困、医療、戦争、災害、事件などをテーマに取材し、執筆活動を続ける。『神の棄てた裸体』『絶対貧困』『遺体』『浮浪児1945-』『蛍の森』『43回の殺意』『近親殺人』(新潮社)、『物乞う仏陀』『アジアにこぼれた涙』『本当の貧困の話をしよう』『ルポ 誰が国語力を殺すのか』(文藝春秋)など多数。その他、『ぼくたちはなぜ、学校へ行くのか。』(ポプラ社)、『みんなのチャンス』(少年写真新聞社)など児童書も数多く手掛けている。