「ウィズコロナ時代」へ 識者の提言(1)

コロナ禍による文明的変動――社会と政治はどこへ向かうのか 千葉大学大学院教授・小林正弥

対処の成否による世界の分化

昨年来のコロナ禍は戦後最大の危機であり、世界に大変動をもたらしつつある。これを乗り越えつつある地域と、大破した地域へと明暗が分かれてきているのだ。アメリカを筆頭に多くの西洋諸国が手痛いダメージを蒙(こうむ)っているのに対し、アジアではベトナムや台湾、中国などが、検査を徹底して感染拡大をかなり抑え込み、日常生活が戻りつつある。日本はこの中間だったものの、第3波による感染激増で、アジアの中では対処に失敗したことが明らかになった。

2度目の緊急事態宣言が出た翌朝の東京駅

この差違には、政治などの選択が影響している。パンデミック(世界的大流行)が人々に突きつけているのは、物質的な経済と、生命の尊重とのどちらを優先するかという問題だ。すでに科学的分析によって、後者を優先した地域では平常な日々が戻って経済発展が再開し始めているのに対し、経済を気にして感染症対策を中途半端にした国はなかなか回復できていないことが明らかになっている。日本は痛恨の政策的な過ちを犯してしまったのである。

感染症がもたらす精神的文明

この結果を招いた思想的主因は、経済を生命よりも優先する経済至上主義、物質主義である。人命尊重の方を大事にするように価値観・世界観や政治が変化すれば、大量の検査や早期の隔離・治療などによって収束させることができるだろう。

コロナ渦に限らず、価値観・世界観を変革できるかどうかに、これからの日本の命運がかかっている。そのためには、宗教的精神が大きな役割を果たしうる。生命を犠牲にして利益追求に走る強欲な心理と行動を改めて、「足るを知る」という精神を多くの人々が取り戻すことが必要だ。

人類史においては感染症が文明の巨大な変化をもたらしてきた。古代ギリシャではアテネの疫病で人口の3分の2もの人が亡くなり、有能な政治家ペリクレスも死んで扇動的なポピュリストが跋扈(ばっこ)し、軍事的敗北を喫して衰退に向かった。この中からソクラテスやプラトンが現れて道徳哲学を確立した。古代日本でも天然痘がたびたび大流行して、6世紀には物部氏と蘇我氏の争いを経て聖徳太子が仏教を国政に導入し、奈良時代にも、為政者だった藤原氏四兄弟が相次いで感染死して、聖武天皇が東大寺・大仏を建立し、仏教国家を樹立した。また中世にはペストの猛威によって封建制が衰退し、「死の舞踏」などの芸術作品が登場して、ルネッサンスによってギリシャ的な人文主義が復活した。続いてピューリタニズムによってキリスト教も再生し、精神的復興によって近代という時代が始まった。

文明が物質的に発展すると、権力や利益の追求が激しくなって、華美になり欲望が渦巻きやすい。ところが感染症で多くの人が死ぬと、システムが維持できなくなって国家や帝国が崩壊する半面、死生観が重要になって精神的問題が浮上する。このようにして文明の弱点が感染症によって浮上し、新しい精神的世界観が勃興するのだろう。

近代科学文明と現代の危機

近代科学の黎明(れいめい)において、17世紀にイギリスのロンドンでペストが猖獗(しょうけつ)を極め、大学を卒業したばかりのニュートンは大学閉鎖のため故郷に疎開し、その間に万有引力の法則などの三大発見をした。ニュートン自身は神学や錬金術など宗教的事柄にも深い関心を持っていたものの、科学技術や経済の繁栄は精神性の衰退をもたらした。

20世紀には第一次世界大戦時にスペイン風邪(インフルエンザの一種)で、世界中の2000~5000万人もが死に、『西洋の没落』(O・シュペングラー)という文明論の原点が戦争終結の年から刊行されて人々に知的な衝撃を与えた。世界大戦が象徴する戦争・紛争に加えて貧困問題が深刻化し、宗教の衰退によって多くの人々は世界や人生の意味が分からなくなり、自殺などの精神的な病も増えた。コロナ禍は、これらの文明の病を再び浮かび上がらせて、アメリカをはじめ西洋文明の衰退を加速すると思われる。

ポストコロナ時代の文明と政治

トランプ政権など右派的ポピュリズムが西洋諸国で伸長したことは、かつてのアテネのように文明が動揺していることを感じさせる。感染症からの回復度に現れているように、これからはアジアをはじめ非西洋諸国の比重が増大していくだろう。

海外ではワクチンの接種が始まった一方で、イギリスなどで変異種の発生が報じられており、この展開次第ではさらに危機が深化することも考えられる。このような地球大の禍を乗り越えて、ポストコロナ時代の新たな繁栄へと向かうためには、文明規模の大きな変革が必要だろう。

そのために求められるのは、第一に根本的原理として、感染症や地球環境の問題に現れているような利益至上主義や経済至上主義をやめ、生命や自然を優先することだろう。

第二に経済では、原発や重厚長大の第二次産業のような経済・産業構造が転換を迫られ、ネットやAIなどのデジタル化がさらに進展するだろう。

第三は働き方。従来の垂直的で画一的な働き方が減り、リモートワークなどが増え、自由・多様性・柔軟性・水平性が尊重されるようになるだろう。

第四に生き方として、感染症を回避するために快楽を自制せざるを得なくなって生き方を見直した人がいるように、精神性を重視する「善い生き方」が復権するだろう。家族の重要性を再確認したり、生死の意味を再考して「本当の幸福」を求めたりする人が増えると思われる。アリストテレスの哲学で言えば、「善き幸福」(エウダイモニア)である。

第五に、社会や政治では、市場経済の効率性を最優先する考え方(ネオ・リベラリズムないしリバタリアニズム)の限界が明らかになり、倫理や道徳性にも目を向けて公共的な善の実現を目的とする考え方が台頭するだろう。感染症対策では、健康・生命のために、医療や苦しむ人々に優先的に資金を向けて助ける政治である。さらに、地方自治体の独自の対策が注目されているように、分権化やコミュニティの役割も再認識されるだろう。私はこのような政治哲学を「徳義共生主義」(コミュニタリアニズム)と呼んでいる(以上、表1参照)。

まだ世界の危機は続くことを覚悟せざるを得ない状況だが、文明の大転換に成功する地域はいずれ危機から脱して繁栄の道を歩むことができる。人類が根本的に舵(かじ)を切り替えれば、地球全体で本当の幸せと繁栄へと向かうだろう。新年に、日本が遅れを挽回して大転回を先導することを願いつつ、世界の平和と安寧を祈りたい。
(専門・政治哲学、比較政治)