利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(8) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

戦前循環と戦後循環の因果とそこから脱出する道

上記の見解を拝読して感じたことを率直に書いてみよう。鼎談でも述べたように、ここ20~30年くらい、戦前と同じような政治的な循環がこれから起こりかねないと私は懸念し、指摘してきた。政治学の観点からみて、小選挙区を中心とする選挙制度に変えてしまうと、戦前のように、一度は政党政治が確立したように見えても、理念や政策の似た二大政党になってしまい、議会政治が崩壊する危険性があると考えたからだ。

戦前は、軍部が支配して戦争に突入していった。今、再び民主主義の危機が叫ばれ、戦争が起こる危険が生じている。与党が2015年に安保法を「成立」させたことによって立憲主義が損なわれ、いまや安保法に基づく参戦という危険が現れている。もし米朝間、あるいは朝鮮半島で軍事的衝突が起これば、同盟国が攻撃されて日本自体も存立の危機にさらされるとして戦争に加わるということになりかねないのだ。その結果、日本もミサイル攻撃を受ける危険がある。それは大量の死につながりかねない。

ここまでは政治学などの現実的な視点から分かることだ。他方で上記の「見解」は仏教的な観点からの見方を示している。私が驚いたのは、戦前循環と戦後循環という見方と本質的には同じことが因果という論理によって説明されていることだ。仏教に親しみのある多くの日本人に、ぜひ読んでほしいと思った。

私が素朴に考えたのは、次のようなことだ。日本人は真珠湾攻撃を行って戦争を引き起こし、アジアの多くの人々にも大量の死と犠牲をもたらした。戦後はそれを反省し、平和国家になることを誓った。アジアの人々に対する加害責任も指摘されて、そういうことは決して再び引き起こさないと誓ったわけだ。そして平和憲法のもとで、日本はこれまで戦争には本格的に加わらないできた。これは戦後日本の誉れである。

でも、仏教的な因果応報の論理をよく考えてみれば、戦争によって引き起こした犠牲は、自分の身に何らかの形で将来かえってくることになる。戦争を体験した世代が死んだり高齢化したりして、戦争体験が風化し、タカ派が増えて右翼的政権が成立した。その政権は、かつて「戦後レジームからの脱却」を唱え、今ついに戦争が行える国にした。今や、かつて日本自身がアメリカなどから経済封鎖をされたように、アメリカとともに北朝鮮に圧力を加えている。

万一この結果、日本に大量の死者が発生したとしても、これは因果応報と考えられるのではなかろうか。かつて日本は朝鮮半島の人々にも多大な犠牲を与えたからだ。

もし日本人が戦後の初心を忘れずに謙虚に平和を希求し続けていれば、そのようなことは起こらないだろう。北朝鮮はアメリカと対峙(たいじ)しているのであり、日本をはじめから標的にしていたわけではないからだ。でも日本がアメリカに積極的に加勢して猛々(たけだけ)しく圧力をかけたり参戦したりすれば、日本を攻撃することも起こりうるだろう。それは、多くの日本人が先の大戦の反省を忘れて、再び戦争を容認する気持ちになってしまっている結果である。

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