『望めど、欲せず――ビジネスパーソンの心得帖』(6) 文・小倉広(経営コンサルタント)

落ち込みと罪悪感は、自分でつくり出している

「あぁ、失敗した。あんなことしなければ良かった。なんて、自分はダメな人間なんだ……」

このように、誰しもが落ち込んだり、自分を責めて罪悪感にさいなまれたりした経験があるに違いありません。

これまでに二度のうつ病に苦しんだ私も、その一人。自分を責めて、落ち込むことが毎日のようにありました。

しかし、今、私は落ち込むことがほとんどなくなってしまいました。なぜならば、気分の落ち込みは、自分の意志だ、とわかったからです。

アドラー心理学を学ぶ前、私は、落ち込みを含む感情は、私を支配する悪者で、どこか得体の知れないところからやってくる、と思っていました。だから、私は「感情」に支配され、逃げることができない被害者だと思い込んでいたわけです。

しかし、アドラー心理学を学ぶことにより、こうした感情は自分で利用するために、自らがつくり出していることがわかりました。

アドラー心理学では、あらゆる行動には目的があるという目的論の立場を取ります。その目的とはメリット(優越)の追求であり、それによる社会への所属です。たとえば、落ち込みには、次のような目的、つまりメリット(優越)があると考えられます。

1 落ち込むことで反省をアピールし、他者からの攻撃を防御する
2 落ち込むことで悲劇の主人公となり、気高さに自己陶酔する
3 落ち込むことで賢く謙虚な自分をアピールする
4 落ち込むことで同情を引き出し、周囲を支配する
5 落ち込むことで課題解決をせず立ち止まる言い訳をつくり出す
……などです。

私は、1~5のいずれもが、自分の隠された目的であることを知り、愕然(がくぜん)としました。いえ、恥ずかしくなった、というのが正直なところかもしれません。1~5の目的は、自分でも気づかずに無意識のうちに心の中につくり出します。そして、それを利用しようと、落ち込むことを選ぶのです。

しかし、私は、1~5のいずれもが無益で恥ずかしいことだと思いました。すると、不思議なことに、落ち込むことがほとんどなくなってしまったのです。

私たちは、あらゆる行動や感情を、何らかの目的、つまりはメリット(優越)のためにつくり出します。しかも、それは長年の慣習として無意識に行われます。

その行動や感情には建設的で有益なものもあるでしょう。しかし、落ち込みのように非建設的で無益なものもあるのです。アドラーは次のようなニーチェの言葉を引用して、その無益さを述べています。

「罪悪感は単なる邪悪である」と。

落ち込むことをやめる、という選択は十分に可能なのです。

プロフィル

おぐら・ひろし 小倉広事務所代表取締役。経営コンサルタント、アドラー派の心理カウンセラーであり、現在、一般社団法人「人間塾」塾長も務める。青山学院大学卒業後、リクルートに入社し、その後、ソースネクスト常務などを経て現職。コンサルタントとしての長年の経験を基に、「コンセンサスビルディング」の技術を確立した。また、悩み深きビジネスパーソンを支えるメッセージをさまざまなメディアを通じて発信し続けている。『33歳からのルール』(明日香出版社)、『アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉』(ダイヤモンド社)、『比べない生き方』(KKベストセラーズ)、『僕はこうして、苦しい働き方から抜け出した。 』(WAVEポケット・シリーズ)など著書多数。