イスラーム・キリスト教文明が共存したスペインの歴史

マドリード王宮で王室、政府関係者、市民社会代表者にスピーチする教皇レオ14世

ローマ教皇レオ14世は6月6日、スペインを訪問(6日から12日)するために、ローマのフィウミチーノ空港を飛び立った。現代の歴代教皇のスペイン訪問は、ヨハネ・パウロ2世(5回)、ベネディクト16世(3回)によって実現されてきた。同国首都マドリードへ向かう機上で、随行記者たちと懇談した教皇は、記者たちからの質問に答えながら、「マドリード、バルセロナ、カナリア諸島へ向けて発するメッセージは、神の愛と愛徳、そして、個々の人間の尊重」と位置付けた。

イラン戦争に関する質問に対しては、「イラン戦争には、正しい(正義に適った)戦争(正戦)と呼べる要素は、何もない」と明言した上で、「正戦の論理は、もう、過去のものだ。現代人の保有する兵器と、その破壊力を想像し得なかった時代の論理だ」とも付言。「現代の軍事技術の発展や、その兵器の破壊力を考慮し、ここ数年間、カトリック教会の教え(社会理念)も再検討されている」と明らかにした。核兵器や人工知能(AI)を使用する自律兵器などの出現によって戦争を正当化できなくなった今、「戦争は人類の敗北」(教皇フランシスコ)であると教皇は言う。ウクライナ戦争については、「対話を基盤とする平和の追求」を要請し、レバノンの状況に関しては、「土地のカトリック教会と連絡を取り合いながら、緊密にフォローしている」と発言した。

6日、マドリードに到着した教皇は王宮に赴き、王室家族、政府関係者、外交団、市民社会の代表者を前に、最初のスピーチを行い、「平和は、先入観としてのイデオロギーに閉じこもるのではなく、真理に向けて自身を開け広げる人によって、受け入れられる」と主張した。平和追求のための現実と理想の間での常なる対話を重要視する教皇は、「現実離れ」することを戒めながら、「言葉、イメージ、詭弁(きべん)のみの世界に生きることの危険性」も指摘した。「真理は人間存在を超え」、「他者、特に、超越(神)との対話を基本とする、自身の浄化、和解へといざなう」という。

スペインのみならず、欧州全域において見受けられる、「分断をあおることによって人気を得る(政治)傾向(ポピュリズム)が、減少するどころか、強化されている」と分析する教皇は、そうした傾向から「人間の尊厳性を擁護」していくためには、「文化、自由教育、質、超越(神)の世界が必要となる」と主張。「真理を愛するがために、あなたたちの社会的現実と、その歴史の中にあって、分裂をあおる説話や分断を放棄し、(現実の)不毛なる単純化から、肥沃(ひよく)な多様性の評価へと移行していくように」と訴えた。「ここに、欧州独自の使命がある」からだ。

多様性について語る教皇

また、多様性について研究し、学び、全てを明確にするかのように見えながらも、自己グループの独自性(identity)を強調するアプローチを放棄するように訴えた。これは、欧州の多様性を構成する移民を擁護するとの教皇の意思であり、欧州のアイデンティティーとの視点から移民を排除しようと扇動する近年の欧州大陸のポピュリズムへの非難でもある。AIなどの「新しい技術が、人工の世界を生み出し、人間の基本的志向を試練にさらす」ことにも言及した教皇は、その人工世界で「偏見が横行し、批判精神が弱体化するのみならず、強権者たちの利害が死へ向けての圧力(戦争)を強めている」との警鐘を鳴らした。

一方、「安全保障が兵器や壁によって構築されるという、私たちの幻覚」について指摘した教皇は、真の安全保障が「他者と共に歩むことを学び、寄り添い合って共に成長していくことによって構築される」と説いた。スペインの歴史そのものが、それを示しているからであり、「イベリア半島におけるイスラームの存在が、長期間にわたり、政治、文化、宗教的な現実を形成した歴史」があるからだ。

イベリア半島は8世紀から15世紀にかけて、イスラームの支配を受け、衝突を繰り返しながらも、イスラーム文明とキリスト・ユダヤ教文明が、政治、学術、科学、芸術、宗教の分野において高度な融合を実現しながら、共存、繁栄の可能性を欧州大陸に示してきた経緯がある。同半島のコルドバ市やトレド市が当時、「諸言語、諸宗教、諸知識の分野における仲介役を果たした」ように、これが「欧州諸都市に関する真理である」と教皇は主張する。

翌7日、マドリード市の中心に位置するシベーレス広場でミサを司式した教皇は、説教の中で「スペインの有する宗教性が、過去の博物館になってしまわないように」と警告し、カトリック教会は、「神と隣人の前でひざまずくことを教える学校」でなければならないと話した。「兄弟を軽蔑する者は、神の前にひざまずくことはできない」からで、「自身を贈り物として捧げる、愛の無償性、あらゆる利己主義の鎖を断ち切り、神の実在を証するために、現代社会の現実と挑戦に逃げることなく対処し、共通善の構築のために自身を捧げることを教える学校」でなければならないと、教皇は主張した。

同日午後、市内の「モヴィスター・アレナ」で、文化、芸術、経済、スポーツ界の代表者たちと会った教皇は、彼らに対するスピーチの中で、「キリストが、人間生命と、その実現についての質問に答えている」と注意を促した。「人間人格がカトリック教会の、最も重要で基本的な関心事」だからだ。「文化は耕すことだ」と定義する教皇は、現代世界において「われわれが何の種を蒔(ま)き、社会の中で何が開花し、何がしぼみつつあるのか、そして、どのような価値観を保全し、死なせつつあるのか」について考察するよう呼びかけた。

さらには、そのための「社会対話」を推奨し、その対話の中で「使われる言語に注意を払うように」と戒めた。文書、口頭、デジタル世界、そして、イメージを使っての対話において、「コミュニケーションが中立であることはない」と主張。おのおのの表現によって告知、伝達される内容が、「傷つけるか癒やすか、期待を破壊するか新しい地平を開くか」「分断をまき散らすか、人間的な要素を共に構築していく希望への可能性を示すか」の、どちらかだという。

「愛である神によって、彼の似姿として創造された」ところに、「蹂躙(じゅうりん)できない人間の尊厳性」があり、「その尊重が、(社会)対話の基盤」なのだ。さらに教皇は、欧州の「精神的基盤」について問いただした。「キリスト教信仰の土台なしに、今の欧州が存在するのか」と。キリスト教という信仰があるからこそ、「人類史の中で、貧困状況に置かれている人々の叫び声が、常に、私たちの生活、社会、政治経済制度、そして、カトリック教会に呼びかける」。

「全ての人を救うことが、キリストの願い」であるが故に、「私たちは、共通善を追求していかなければならない」と教皇はスピーチを締めくくった。