栄福の時代を目指して(11) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

画・国井 節

永遠平和の祈り――世代を超えた希求

広島と長崎の原爆記念日、そして終戦記念日が巡って来た。毎年、戦争の記憶を呼び起こして、決して同じ過ちを繰り返さないように誓うという国民的儀式が行われる時期だ。しかし、今年は「例年同様」というわけではなく、重要な、善き変化があった。

私個人にとっては、父の一周忌でもあった。亡くなった際には死の衝撃の中にあってさほど意識してはいなかったのだが、8月9日、つまり長崎原爆の日が父の命日なのである。これは偶然のようだが、同時に父の深い願いを象徴的に表している。

90歳で亡くなった父は戦時中、小学生だったため疎開した。その戦争体験に基づいて、生涯、強固な平和主義者であり、それが学問や行動の礎石でもあったように思われる。そもそも父がマルクス経済学者になったのは、平和を維持し実現するためにはその学問が大切だと考えたことが主要な動機の一つだった。私には、経済そのものよりも、この目的の方が父には大切であり、このために経済学を研究したようにすら思えた。だからメディアでの時事的論評では、権力批判と平和主義的主張が多く、政治が危険な方向に向かっていると思う時には、手作りの紙製プラカードを持って街頭に立つこともあったようだ。

この日の逝去は、私が深い影響を受けた政治学者・丸山眞男氏の命日が8月15日、つまり終戦記念日であることを連想させた。1996年に丸山氏が没した後、私はその学問的な意義を讃(たた)える気持ちで、『丸山眞男論』(東京大学出版会、2003年)を編集した。丸山氏の学問的な最大のモチーフは、戦争に至る日本人の精神構造を思想史的に分析することによって、同じ過ちを繰り返さないことであった。この日の逝去は、類まれな学者が、戦争という過ちを繰り返さないように、自らの死をもって最期に訴えているようにすら、敬慕する多くの人々に感じさせた。

「9・11」(米国同時多発テロ事件)の衝撃のもとで私は平和主義的な主張や活動を行い、丸山氏の平和論を意識して『非戦の哲学』(ちくま新書、2003年)を刊行した。大学生時代、先輩たちが企画してくれたセミナーにおいて、丸山氏が長時間、情熱をもって語る姿を直接見る機会があった。その迸(ほとばし)る知的・道徳的エネルギーに忘れがたい感銘を受け、丸山氏の名著『現代政治の思想と行動』(未来社、1985年)にサインをして頂いた。私の学問的な宝物の一つだ。直接の出会いはその一度だけだが、丸山氏の洞察は私の学問的起点となり、その後の展開の礎石となっている。

父は、子どもたちが戦争に駆り立てられないことを願って平和主義的な言動をしていると語っていたから、その経験と精神は私に影響を与えて、丸山氏の知見に出会わせてくれたとも思える。ささやかながら、ここには戦争体験や追憶の伝承があるのかもしれない。父の、あるいは丸山氏の戦争体験から紡ぎ出された知恵の松明(たいまつ)をわずかなりとも受け継ぎ、後続の世代に語り伝えられたら本懐だ。

世代を超えた伝承は極めて重要であり、原爆体験の語り部によって貴重な努力が行われてきた。しかし、このような努力にもかかわらず、世代を超えて平和への心情が同じ強度で受け継がれるのは難しい。田中角栄が「戦争を知っているやつがいるうちは、日本は安心だ。戦争を知らない世代がこの国の中核になった時が怖い」という言葉を残したのは知られている。丸山や父の世代も去りつつあり、今、政界はまさに田中が恐れた時になり始めている。

世界では、ウクライナや中東で戦火が広がっており、世界的な戦争や核戦争の危険が急拡大している。日本原水爆被害者団体協議会がノーベル平和賞を昨年受賞したのは、このような危機を背景にしており、世界の要人が広島や長崎を訪問して、核兵器の悲惨さを実感し、決して核戦争を起こしてはならないという感想を改めて持ったことが報じられている。広島と長崎には、私も何度か足を運び、平和記念資料館や原爆資料館、平和の鐘などを見て、その度に非戦への決意を新たにしてきた。

それ故、かねてから世界平和を祈ってきたが、今年6月に起こったイラン・イスラエル(12日間)戦争の終結を祈った際には、幾度も「永遠平和」という言葉がよぎった。この言葉は、近代を代表する哲学者カントの『永遠平和のために』という著作(岩波文庫など、原著1795年)の中心概念だ。この著作は、永遠平和を可能にする政治的構想を論述したもので、のちの国際連合のビジョンを先駆的に提起していると言われている。

ウクライナや中東の戦争、ガザの大虐殺(ジェノサイド)は正視できないような苦痛と悲惨をもたらしているが、このような悲惨な事態が再び起こってしまった以上、人類の教訓として、恒久平和への国際的秩序が構築されていくことをせめて願いたい――そういう深層心理が働いたのかもしれない。そのためには、国連改革なども含めて、大きな世界秩序の変革が必要だ。アウシュビッツ強制収容所での虐殺をはじめ第2次世界大戦の惨禍があって初めて、国連が実現した。同じように、これらの戦争や虐殺による犠牲が、永遠平和への未来に生かされることを希求するしかない。

現在は、戦争の停止を求める声も高まっており、ウクライナ戦争に関しては、アメリカのトランプ大統領とロシアのプーチン大統領の劇的な会談が行われ、アメリカの仲介による戦争当事国同士の交渉が行われる可能性が生まれた。永続する和平が実現することを願うとともに、永遠平和・恒久平和への道が世界に開けていくことを祈りたい――そう思って、「世界平和の祈り」とともに、「永遠平和の祈り」をそれ以来、日々行うようになった。

参議院選挙とポピュリズム

そして日本でも、7月の参議院選挙でさや(塩入清香=しおいり・さやか)氏の「核兵器は安上がり」という発言が物議を醸し、所属する参政党が大きく伸長した。与党の敗北や、立憲民主党、社会民主党、共産党といった既成野党の停滞や敗北と対照的に、国民民主党の躍進とともに、参政党の大幅議席増が注目されている。このような現象は、ポピュリズムと呼ばれることが多く、都知事選や昨年衆議院選でも似た傾向が現れていた。

ポピュリズムとは、「人民主義」と訳されることもあって、言葉通りに受け取れば、人々の支持に支えられる政治を意味する。だから、進歩的・開明的な政治を指すこともあるが、右翼的・排外主義的な政治的潮流を指すことが多く、これらを区別するために左派ポピュリズム・右派ポピュリズムという分類もなされている。既存の政治をエリート的な政治として激しく非難し、敵と味方を二分し、エスタブリッシュメント(権力層)を敵視して激しく攻撃する。その主張は、確かな理論や政策に基づかず、真実を軽視して虚偽情報を含むことが多いが、苦境からの脱出を願う人々の拍手喝采を受け、時にカリスマ的な人気を持っている(前連載『利害を超えて現代と向き合う』第74回参照)。

この典型がアメリカのトランプ派の勝利で、欧州でも極右ポピュリズムが伸張しており、この潮流が日本にもいよいよ押し寄せてきたと論評されている。

まず改めて確認すべきことは、与党敗北の原因は、自民党の裏金問題や、物価高による生活難にあるということだ。これは安倍政治やアベノミクスの帰結であり、安倍政治を支えた議員たちが次々と落選した。これは、前連載第81回で述べた因果応報の現れである。

それにもかかわらず、安倍派中枢議員たちが中心になって、政権にとどまっている石破茂首相に退陣を迫っている。これに対して、「石破辞めるな」というデモが官邸前で行われるという前代未聞の現象が起こった。市民たちが、日本政治が再び極右的な方向に戻ることを危惧しているからだろう。これに対応して、朝日新聞が行った世論調査での石破内閣の支持率は、7月の29%から8月には36%に上がっており、「首相は辞めるべきだ」は41%から36%に下落、「辞める必要はない」は47%から54%へと上昇した(朝日新聞8月19日付)。自民党というよりも石破首相への期待がこの変化に表れている。

平和式典に見る首相の至誠――非核三原則・不戦の決意と反省の公共的更新

その期待の理由を象徴的に表しているのは、式典におけるスピーチである。石破首相は、広島平和記念式典で「太き骨は先生ならむ そのそばに 小さきあたまの骨 あつまれり」という歌人・正田篠枝(しょうだ・しのえ)の歌を「万感の思いをもってかみしめ」つつ、二度繰り返して読みあげた(8月6日)。その前には、「広島、長崎にもたらされた惨禍を決して繰り返してはなりません。非核三原則を堅持しながら、『核兵器のない世界』に向けた国際社会の取組を主導することは、唯一の戦争被爆国である我が国の使命であります」と「非核三原則」が確認された。そして、全国戦没者追悼式では「先の大戦から80年が経ちました。今では戦争を知らない世代が大多数となりました。戦争の惨禍を決して繰り返さない。進む道を二度と間違えない。あの戦争の反省と教訓を、今改めて深く胸に刻まねばなりません」と述べて、「反省」という言葉を用いた。かつて歴代の内閣が踏襲してきたこの言葉は、2013年の安倍元首相の挨拶以来、用いられなくなっていたから、13年ぶりの復活だ。さらに、「歳月がいかに流れても、悲痛な戦争の記憶と不戦に対する決然たる誓いを世代を超えて継承し、恒久平和への行動を貫いてまいります」と述べて、「不戦の誓い」も確認された。

これらは、日本政治の軸心が、安倍政治とは明確に変わって、以前と同じように、戦争を起こさない、原爆を使わないという原点に戻ったことを物語っている。だからこそ、それに安堵(あんど)した人々が、支持政党を問わず、首相の続投を願ったのだろう。

長崎平和祈念式典で首相が引用した「ねがわくば、この浦上をして世界最後の原子野たらしめたまえ」は、長崎医科大学で被爆した永井隆博士の言葉だ。私も長崎の平和公園や原爆資料館を訪れた際に、その一節が載っている本『長崎の鐘』を買い求めて深い感銘を受けた。父の命日となった8月9日、今から80年前には、東洋一の大聖堂と言われた浦上天主堂(爆心地から約500メートル)の周辺で、二つ目の原爆が炸裂(さくれつ)したのだ。先ほどの歌と同様に、犠牲の地を目前にしたこの悲痛な祈りは、涙なしには読めないものだ。

原爆による瓦礫(がれき)の中から一つの鐘が見つかり、毎年、原爆投下時間に鳴らされてきた。もう一つの鐘楼(しょうろう)があり、その鐘は全壊してしまったのだが、アメリカ人によって復元され今年寄贈された。そこで石破首相は、「80年の時空を超え二口揃(そろ)ったアンジェラスの鐘が、ここ平和公園の長崎の鐘とともに、かつての同じ音色を奏でました」と述べ、「天を指す右手は原爆を示し、水平に伸ばした左手で平和を祈り、静かに閉じた瞼(まぶた)に犠牲者への追悼の想いが込められた」平和祈念像の前で、「私たちはこれからも、『核戦争のない世界』、そして『核兵器のない世界』の実現と恒久平和の実現に向けて力を尽くします」と改めて誓った(8月9日)。

安倍元首相以来、蔑(ないがし)ろにされてきた戦後日本の平和主義の原点を、現首相が真剣に確認して祈ったことの意味は大きい。非核三原則・不戦の決意と、戦争の反省を再確認して、公共的に更新したことになるからだ。安倍政治が終了して、日本政治が正常化しつつあることの現れでもある。

石破首相側近によると、参政党が伸びるような社会状況に首相は危機感を持っているという(朝日新聞7月26日付)。ポピュリズムは分断を激化させるから、広島の式典における「未だ争いが絶えない世界にあって、分断を排して寛容を鼓(こ)し、今を生きる世代とこれからの世代のために、より良い未来を切り拓(ひら)きます」という「分断」への言及にもその考え方が垣間見られる。

石破首相はNHKのインタビューで、続投について「しがみつきたいとか、何が何でも続けたいということとは違うものだ。一切の私心(わたくしごころ)を持たず、国の将来のために自分を滅してやる」「一番大事なのが国益だ。自分自身のことを考えれば、いろいろな判断があるが、行政の最高責任者としては自身の思いは抑えなければならない」と語った(7月27日)。これは、「滅私奉公」という戦前のスローガンに近い言葉遣いだが、首相としては讃えるべき「滅私開公・無私開公」(山脇直司)ないし「抑私開公」と表現できる。

それは個人の権力欲に基づくものではなく、キリスト教徒(プロテスタント)である首相の使命感の表れだろう。実際に、日米関税交渉の重責を担った最側近の赤沢亮正経済再生担当相からも、テレビで「本当に真摯な方。クリスチャンで洗礼も受けているので、本当に自分が神から与えられた使命を、とにかく果たしたい、その思いは間違いない」と語られている(Yahoo!ニュース=8月1日)。少なくとも現在の状況においては、この心境は確かだろう。自ら書いたと推察される式典挨拶も、内容から見て、戦争の死者、そして天に通じる至誠の発露だと思われる。

※〈後編〉は、9月4日(木)に掲載予定です

プロフィル

こばやし・まさや 1963年、東京生まれ。東京大学法学部卒。千葉大学大学院社会科学研究院長、千葉大学公共研究センター長で、慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科特別招聘(しょうへい)教授兼任。専門は公共哲学、政治哲学、比較政治。2010年に放送されたNHK「ハーバード白熱教室」の解説を務め、日本での「対話型講義」の第一人者として知られる。日本ポジティブサイコロジー医学会理事でもあり、ポジティブ心理学に関しては、公共哲学と心理学との学際的な研究が国際的な反響を呼んでいる。著書に『サンデルの政治哲学』(平凡社新書)、『アリストテレスの人生相談』(講談社)、『神社と政治』(角川新書)、『武器となる思想』(光文社新書)、『ポジティブ心理学――科学的メンタル・ウェルネス入門』(講談社)など。