食から見た現代(5) とろとろのスナック〈前編〉 文・石井光太(作家)

「家族でレストランへ行った記憶がありません」

取材で出会った20歳の男子大学生からそう言われたことがある。レストランどころか、家族で外食をした経験が一度もないという。

よく聞いてみると、家は親が歯科医だったことから裕福だったらしい。なぜ外食の経験がないのか。彼はその理由をこう話した。

「姉さんが一人いたんですが、障害があって寝たきりだったんです。昔、母がその姉さんをレストランへ連れて行ったら、店員さんに怒られたらしく、それから家族で食事に行くことがなくなったそうです」

彼の姉は生まれつきの重度心身障害で立ち上がることも、しゃべることもできなかったそうだ。母親が付きっきりで介護し、食事に関してはおかゆのような介護食を一口ずつ食べさせていた。

ある日、母親が友達の家族と一緒に姉を車椅子に乗せ、ファミリーレストランへ連れて行った。親は自分の食事を注文した後、姉には事前に用意した介護食を食べさせた。すると店員がやってきて、こう注意した。

「当店では、お持ち込みの品の飲食は禁止にさせていただいています。申し訳ありませんが、お控えください」

母親は言葉を失った。姉は嚥下(えんげ)障害があり、一般の食事を口にすることができない。だから、細かく潰(つぶ)した食事を食べさせていたのに、それを禁止と言われるなんて。

彼女は一緒に来た家族の前で恥をかかされた気持ちになり、それ以来外食をするのをやめた。弟がレストランへ連れて行ってもらえなかったのはそのためだったそうだ。

嚥下障害とは、食事を咀嚼(そしゃく)して飲み込むことができないことを示す。高齢者の場合は筋力の衰えでそうなることもあるが、子どもは脳性麻痺(まひ)、染色体異常症、筋ジストロフィーなどが原因になることが多い。

親がこうした子どもたちに作るのがミキサーを使用した「介護食」だ。「ミキサー食」ともいう。喉に食べ物を詰まらせたり、誤嚥(ごえん)したりしないよう、食事をミキサーにかけてペースト状にしたものをスプーンで少量ずつ口に運ぶ。

ただ、介護食は見た目が悪い上に、本人も何を食べているのかわからないというデメリットがある。表現は悪いが、汚れたスライムのようなものを一方的に口に入れられているようにすら見える。私は小児の難病の取材を10年近く前からやっているので度々目にするが、障害児は食べることに消極的な上に、与える親もなんとも物憂げな表情をしている印象が大きい。

そんなある日、冒頭の取材で大学生から嚥下障害の子どもを持つ親たちが集まるスナックがあるらしいと教えてもらった。そのスナックでは嚥下障害の子どもの“食事”について語り合っているという。どういうところなのだろう。早速行ってみることにした。

その店は「スナック都ろ美」という紫のネオンを輝かせていた。毎晩オープンしているわけではなく、不定期の営業なのだそうだ。

店のホームページ(「スナック都ろ美」)には、看板ママの顔写真が8人分載っている。特徴的なのは、ママの隣に障害のある子どもが一緒に写っていることだ。

この店は、スナックといっても、駅前のビルでネオンを輝かせているカラオケ付きの店舗ではない。ネット上のバーチャル・スナックで、嚥下障害の子を持つ親たちが集まるためのコミュニティーなのだ。

この日、オンラインでスナック都ろ美を訪れた私を迎えてくれたのは、玲子ママ(永峰玲子・46歳)とさくらママ(加藤さくら・42歳)だった。それぞれ障害のある中学生の娘を持つ母親だ。オンライン画面の背景は、スナックの店内がイラストで描かれている。

「こんにちは。スナック都ろ美の玲子ママでーす」

「はい、こっちはさくらママでーす」

そんな声で迎えられると、本物のスナックに足を踏み入れた気分になる。

スナック都ろ美ができるきっかけになったのは、2019年8月に都内の特別支援学校で開催された「特別支援学校の特別おもしろ祭」だったという。文化祭のようなイベントで、玲子ママとさくらママはここでスナックのママに扮(ふん)して、嚥下障害の子どもでも楽しめる「おもしろい食」のコーナーを作った。ペースト状の食べ物にとろみを加えて美味しそうな形に加工して提供したのだ。

参加者の間で評判になり、もっとアイディアを教えてほしいという声も上がった。二人はそれに押されるようにして、翌年の4月には団体を設立し、オンライン上のバーチャル・スナックという形でコミュニティーをつくることにしたのである。