核兵器の脅威を歴史から学べ――教皇(海外通信・バチカン支局)

ローマ教皇フランシスコは10月9日、バチカン広場で、海外の移民や病者、貧困者のために生涯を捧げたジョバン・バッティスタ・スカラブリーニ司教(イタリア人、1839~1905)と、アルテミデ・ザッティ修道士(イタリア人、サレジオ会の修道士)の列聖式を挙行した。

教皇は、式典で説教に立ち、「移民の排除はスキャンダル(醜い事件)だ!」と強い口調で糾弾。「移民の排除は、私たちの眼前で彼らを死なせることであり、犯罪に通じる」と非難し、「地中海が(溺死した移民たちの)世界で最大の墓地となってしまった」と嘆いた。さらに、「移民の排除は、助けを求める人々に門戸を開放しない嫌悪されるべき行為であり、罪であるばかりか、犯罪にもなる」と述べた。

また、同日の正午の祈りでは、「60年前の第二バチカン公会議(1962年10月11日~1965年12月8日)が始まった当時、世界が核戦争の脅威に晒(さら)されていたことを忘れてはならない」と振り返り、「なぜ、歴史(の教訓)から学ばないのか?」と問いを発した。

そして、「あの当時にも(現代と同じように)、紛争(冷戦)で高まる緊張が存在したが、平和的解決への道が選択された」と指摘。「あなたがたは分かれ道に立って、よく見て、いにしえの道につき、良い道がどれかを尋ねて、その道に歩み、そしてあなたがたの魂のために、安息を得よ」(エレミヤ書6章16節)という旧約聖書の一節を引用し、和平アピールを結んだ。

米国のケネディ元大統領は1962年10月22日、国内のラジオ、テレビ放送を通して、国民に向けてソ連(当時)がキューバに核弾頭を配置したと報告。「キューバから行われる、欧米の一国に対するミサイル攻撃は、米国そのものに対する攻撃として受け取られ、ソ連に対する報復を誘発する」と警告し、キューバの海上封鎖を実行した。東西冷戦の中でも、世界が核戦争の脅威に直面した最も劇的な2週間「キューバ危機」である。一触即発となった核戦争への恐怖を前に、カトリック信徒であったケネディ元大統領は、第二バチカン公会議を開会したばかりの教皇ヨハネ二十三世に対し、世界に向けた和平アピールを懇願した。

同教皇は、公会議から「私たちの良心に手を当て、世界のあらゆる地、無垢(むく)の子供たちから老人に至るまで、あらゆる人々から湧き上がる、“平和! 平和!”という苦悩の叫びに耳を傾けよう」という和平メッセージを発信した。さらに、このメッセージを無神論者であるフルシチョフ・ソ連共産党書記長宛てに親書としてまとめて送付。この親書は、クレムリンで評価されていた米国人の新聞記者、平和運動実践者のノーマン・カズンズ氏(第7回庭野平和賞受賞者)によって、モスクワで直接、同書記長に手渡された。

2000年に公開された旧ソ連の機密文書からは、同教皇による和平アピール以降、クレムリンのバチカンに対する態度が、“穏健”になっていったプロセスが明らかに見て取れるという。同教皇の誕生日にフルシチョフ書記長から祝辞が届くようになり、ロシアの日刊紙「プラウダ」が、教皇のクリスマスメッセージについて長文の記事を掲載したのだ。

1962年10月28日、イタリアとトルコに配置された米国の核兵器放棄を条件に、キューバにある核ミサイル基地を撤廃する合意は、第二バチカン公会議という世界的な潮流の中で、冷戦の終焉(しゅうえん)に向けた黎明(れいめい)期を告げていた。
(宮平宏・本紙バチカン支局長)