【ピースボート共同代表・川崎哲さん】核兵器禁止条約が発効した今 世界が連携し、さらなる歩みを
2017年に国連で採択された核兵器禁止条約が、1月22日に発効した。開発、使用、保有など核兵器のいかなる行動も禁じる初めての条約であり、発効は核兵器廃絶に向けた“画期的な一歩”といわれる。長年、条約の成立に取り組み、ノーベル平和賞を受賞した国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)の国際運営委員を務める川崎哲さん(ピースボート共同代表)に、条約発効の意義と今後の展望を聞いた。
被爆者の切なる願いが形に
――核兵器禁止条約が必要だった世界の状況とは?
それは、今日までの歴史を知ると理解しやすいでしょう。1945年に米国が世界で初めて核兵器を持ちました。それ以降、ソ連(現ロシア)、英国、フランスと続き、64年に中国が核実験を経て保有しました。
一方、45年に創設された国連の主要課題の一つは、核兵器の拡散を止め、核軍縮を進めることでした。68年、核不拡散条約(NPT)が成立します。これは、67年1月1日以前に核兵器を保有していた国、つまり先の5カ国を核兵器国として認める一方、その他の国には核兵器を持たないことを誓約させ、保有国を増やさないことを目的にした条約です。同時に核兵器国には、軍縮義務を負わせ、誠実な履行を求めています。
しかし、世界には今も1万3000発の核兵器があります。また、先の5カ国以外にも核兵器を保有する国が現れました。NPTの定めた核軍縮が一向に進まない状況に対し、非核兵器国、また国際NGO、さらに被爆者やその団体が核廃絶に向けて協調し始めたのです。
96年にオランダ・ハーグの国際司法裁判所が、「核兵器の使用と威嚇は一般的には国際法違反」との勧告的意見を出しました。これを機に、「核兵器を世界から完全に廃絶するための新たな条約が必要なのではないか」という議論が始まったのです。
さらに2010年、赤十字国際委員会が、核兵器のいかなる使用も人道に反するとの声明を発表し、国際的な機運が一気に高まりました。メキシコやオーストリアなどが中心となって国際会議が開かれた後、「核兵器の非人道性」を基に、これを禁止する条約制定の議論がなされ、条文が作られていきました。
そして2017年7月、核兵器禁止条約は122の国と地域の賛成で採択され、昨年10月、発効に必要な50カ国・地域の批准がなされ、今年発効に至ったわけです。
赤十字を含めさまざまなNGOが一連のプロセスを支える大きな役割を果たしました。宗教者や宗教団体もそうです。倫理や良心に従って被害を受けた人々の苦しみに心を寄せ、揺るぎない姿勢で核廃絶に取り組んでこられました。
――条約の発効にはどのような意義がありますか
最初に挙げられるのは、核兵器がついに違法化されたことです。
核兵器禁止条約は、開発、使用、威嚇など核兵器のあらゆる行為を禁じる史上初めての条約です。核兵器廃絶を現実化するためのスタート地点に立ったと言えます。
もう一つの大きな意義は、原爆が投下されて75年以上の歳月を経て、広島・長崎の被爆者、核実験被害者の方々の思いが形になったことです。条約の前文には、「ヒバクシャと核実験の影響を受けた人々の受け入れ難い苦しみに留意する」と記されています。
私はこの10年間、NGOの立場から条約の交渉会議やそれに先立つ会議に参加してきましたが、会場にはいつも被爆者の方の姿がありました。国際社会から被爆証言を求められ、繰り返し足を運び、「自分たちの経験した地獄のような苦しみを決して他の誰にも味わわせてはいけない」というメッセージを訴え続けられました。こうした方々の切実な願いが条約を通じて後世に伝えられていくのです。
――発効が世界に与える影響は?
核兵器が法的拘束力を持って禁止されたことで、「核兵器は人道的に許されない」という認識がさらに広がり、使用できない兵器になっていくと思います。
核兵器禁止条約は、核兵器国が参加していないため実効性が乏しいという意見がありますが、核兵器国がただちに参加することはないとの予測は、条約を作る段階でされていました。それでも、条約が成立すれば、政治的・経済的・社会的な圧力が、核兵器国を包囲することになるとの勝算があったのです。
過去に対人地雷やクラスター爆弾の禁止条約ができた時、それらを製造、保有する国は条約に参加しませんでしたが、発効後、世界では、生産や取引、使用が激減しました。それらの兵器の製造企業には膨大な金融機関が関わっているのですが、「国際法で禁止された非人道兵器の製造企業への投融資」が国際的に問題視され、名指しされた各金融機関は批判を受けて、投融資を停止せざるを得なくなったのです。この投融資引きあげの効果によって、「非人道兵器の生産は許されない」という国際世論がつくられてきました。核兵器もそうなっていくはずです。