バチカンから見た世界(94) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)
歴史的建造物「アヤソフィア」がモスクに(1) “文明の衝突”を政治利用する危うさ
トルコのイスタンブールにある歴史的建造物「アヤソフィア」は、キリスト教の大聖堂として建立され、その後にモスク(イスラームの礼拝所)となり、トルコ共和国成立後は博物館として利用されてきた。
しかし、7月10日、エルドアン大統領はアヤソフィアをモスクに戻すと発表し、ムスリム(イスラーム教徒)の多い国内では支持の声が上がる一方、国際社会では大きな波紋を呼んでいる。
トルコは歴史的に東西文明の「十字路」「交差点」と呼ばれてきた。東ローマ帝国とオスマン帝国、キリスト教(正教会)とイスラームという異なる文明、文化が交わる地であったからだ。特に東ローマ帝国、オスマン帝国の首都であったコンスタンティノープル(現・イスタンブール)は、両文明の出会い、対話、衝突、衰退の舞台だった。そして、その交わりの象徴的な存在がアヤソフィア(ギリシャ語では「ハギアソフィア」)である。
アヤソフィアの歴史は、西暦350年ごろにキリスト教の聖堂として建設が開始され、360年に完成、献堂されたことに始まる。その後、二度焼失し、現在のアヤソフィアは537年に大聖堂として再建、献堂されたものが基になっている。アヤソフィアは正教会の総本山として人々の信仰を集めたが、1453年にコンスタンティノープルがイスラームのオスマン帝国軍によって征服され、イスラームのモスクとなった。
1923年、トルコ共和国が成立し、現代国家としての礎を築いた初代大統領アタチュルクは政教分離、世俗主義を推し進め、1934年にアヤソフィアを博物館とすることを決定した。内部に宇宙の創造主としてのキリストのモザイク、柱に預言者ムハンマドの名を刻んだ円盤などがあり、4本のミナレット(イスラームの尖塔=せんとう)によって四方を囲まれたアヤソフィアは、諸文明、文化を受け入れてきた歴史を今に伝えており、1985年に国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界遺産」に登録された。
この建造物にある“ソフィア”とは、「神(キリスト)の“叡智(えいち)”」を意味する。この呼称が、アヤソフィアの約1700年間にわたる歴史の中で、重要な意味合いを持つ。ギリシャ文明、ローマ文明、キリスト教とイスラームの興隆と衰退を見守ってきたアヤソフィアは、宗教、民族の違いを超え、“共存”という神と人類の“叡智”を内蔵している。