TKWO――音楽とともにある人生♪ ホルン・堀 風翔さん Vol.1

日本トップレベルの吹奏楽団として知られる東京佼成ウインドオーケストラ(TKWO)。演奏会をはじめ、ラジオやテレビ出演など、多方面で活躍する。また長年、全日本吹奏楽コンクールの課題曲の参考演奏を行っていることから、特にコンクールを目指す中学生・高校生の憧れの存在でもある。本企画の29人目に登場するのは、ホルン奏者の堀風翔さん。今回は、ホルンを始めたきっかけや恩師との出会いなどについて話を聞いた。

楽器を演奏する兄に憧れて

――音楽に触れ合うきっかけは?

小学3年生の頃、6歳上の中学3年の兄が、学校の吹奏楽部でテューバ(チューバ)を担当していました。兄は真面目な性格で優しく、勉強も音楽もできるオールマイティーな人で、僕にとって憧れのヒーローのような存在でした。そんな兄が、定期演奏会などで演奏する姿はとても格好良く見え、兄のように演奏してみたいと思ったのが音楽を始めるきっかけです。小学校のブラスバンド部に入り、顧問の先生に勧められてトランペットを吹くようになりました。

最初は音をうまく出せませんでしたが、だんだんと音が出せるようになり、曲のフレーズをそれなりに吹けるようになってくると、ますますのめり込んでいきました。ブラスバンド部では、本格的な吹奏楽の曲より、小学生の僕たち部員がなじみやすいポップスを多く合奏させてもらえたので、さらに音楽に親近感が湧きました。

――演奏会にも参加したのですか?

よく覚えているのは、地元のお祭りのパレードに、母校を含めて、いくつかの小学校の金管バンドが参加した時のことです。僕たちが演奏したのは、当時、はやっていたPUFFYの「愛のしるし」。沿道を埋め尽くす観衆の前で大喝采を浴びて、演奏しながら行進した時の爽快感、身震いするほどの喜びは今も忘れません。もしかしたら、そこでの経験が基になって今の仕事へと結び付いたのかもしれませんね。

――その後、ホルンに出合ったのですか?

兄と同じ中学校の吹奏楽部に入ってからです。その中学校は、中高一貫の進学校のせいか、当時は部員が少なく、1人の部員がいくつかの楽器を担当し、演奏会によって奏でる楽器が変わるという状況が続きました。僕は入部してすぐに、トランペットと打楽器の両方を担当しましたし、部員によってはフルートとユーフォニアムというように、木管と金管の両方を担当する人もいました。

中学3年生のある日、僕は顧問の先生から、「次のコンクールでホルン奏者が足りないから、ホルンを吹いてくれ」と言われました。ホルンとトランペットの両方の譜面を読み分けるのはちょっと大変でしたが、両方の楽器はどちらもB(ベー)管で運指が似ているため、練習を重ねて、それほど苦もなく演奏できるようになりました。その後も両方を担当し、最終的にホルンに落ち着いたという感じです。

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