TKWO――音楽とともにある人生♪ 指揮・大井剛史さん Vol.3
東京佼成ウインドオーケストラ(TKWO)正指揮者の大井剛史さんは、中学生の時にTKWOの魅力に“ドハマリ”した。一ファンとして客席で演奏を聴いた思い出を大切にし、やがて同じ舞台に立つまでになった。最終回では、正指揮者になるきっかけや、TKWO創立60周年を迎えた今年の抱負を聞いた。
ラーメン屋での会話から正指揮者の道へ
――正指揮者になるきっかけは?
佼成ウインドの指揮研究員のオーディションに不合格となってからは、各地でさまざまな団体で指揮をしました。8年が経った2011年、広島で、佼成ウインド前コンサートマスターの須川展也さんと共演しました。この時が須川さんとの初共演でした。
その日は午前中から練習があり、昼休みに一人で、練習場の近くにあるラーメン屋に入りました。しばらくして、偶然、須川さんが同じ店に入ってこられました。偶然、僕の隣の席が空いていて、「隣、いいですか?」と声を掛けられました。「ええ、もちろんです」とお応えして、昼食をご一緒しました。さまざまな話をして、「大井さんは吹奏楽とか興味がありますか?」と須川さんから尋ねられました。
すでに須川さんは佼成ウインドを退団されていましたが、在団中も、その後も、サクソフォン奏者として有名でしたから、僕は当然、須川さんのことをよく知っていました。一方、須川さんにとっては、僕が以前、オーディションを受けた多くの指揮者のうちの一人にすぎず、ほぼ初対面だったわけです。そういう状況での会話だったのですが、僕は佼成ウインドの大ファンでしたので、吹奏楽に興味があるどころではなく、大好きなことを須川さんに熱く語りました。
その後すぐに須川さんは、こういう指揮者がいると、佼成ウインドに電話をかけてくださいました。翌年5月に仙台公演の話を頂きました。そして、2014年には正指揮者に就任したのです。
――正指揮者に決まった時は、どんな思いでしたか?
正直、驚きました。それは、佼成ウインドでは長年、契約を結んだ日本人の指揮者がいなかったからです。1972年に汐澤安彦先生が初代常任指揮者を務め、次に、宇宿允人さん、平井哲三郎さんが就任し、84年からはフェネルさんが常任指揮者となりました。フェネルさんが就任してから、楽団には首席指揮者など、他にも契約のポジションはありましたが、ダグラス・ボストックさん、ポール・メイエさんと、海外の人が担いました。僕がお話を頂いた時は、日本人で契約したのは30年ぐらいはるか昔のことですから、全く考えもしなかったんですね。
それに、正指揮者になる前に、すでに僕の一つの夢はかなっていましたから、それで十分という気持ちがありました。正指揮者就任の話を頂く前の定期演奏会で、「アルメニアン・ダンス」全曲の指揮をさせて頂くことが決まっていました。この曲は、中学3年生の時に初めて指揮を務めた曲で、僕にとってとても思い入れのある曲です。ですから、この曲で佼成ウインドと共演できたことで、夢は叶っていたんです。
ただし、この定期演奏会は、僕の正指揮者就任を披露する演奏会も兼ねることとなり、ここから佼成ウインドと共に過ごす新たな日々が始まりました。