TKWO――音楽とともにある人生♪ ティンパニ・坂本雄希さん Vol.3
2001年に国立音楽大学を卒業後、フリーのティンパニストとして活動していた坂本雄希さんは、2003年からエキストラとして東京佼成ウインドオーケストラ(TKWO)に参加する。その後、オーディションを経て、2008年、正式団員に――。最終回では、団員として心に残る出来事、そして大切にしている音楽との向き合い方を聞いた。
いつでも、どこでも、誰にでも、全力を尽くして音楽を届ける
――佼成ウインドでの演奏で印象に残っていることは?
演奏会で言えば、2006年、「WCRP青年世界大会」のプログラムとして、広島国際会議場のフェニックスホールで行われたチャリティーコンサートが印象的でした。
それまでは、「普門合唱フェスティバル」で、佼成合唱団と共に「歓喜の歌」(交響曲第9番 第4楽章)を演奏する時に呼んで頂いていましたが、「歓喜の歌」は、合唱が主題の曲なので、吹奏楽団としてのレパートリーではなく、裏方に徹する演奏でした。そうした中で、広島では初めて、佼成ウインドが“主役”となるステージに呼んで頂いたこと、加えて、観客の皆さんが音楽を楽しんでいることをひしひしと感じて、ものすごく興奮したのを覚えています。ただ、この時はエキストラだったので、それほど楽団員と関わりがなく、演奏後は飛行機の出発時間まで、広島の街を一人でうろうろしながら、その興奮をかみしめましたね(笑)。
――今、坂本さんが演奏家として大事にしていることは?
私は演奏家ですが、それは、聴いてくださる人がいなければ成り立たない仕事だと思っています。演奏会に来てくださるということは、いくつもある芸術の中から音楽を選び、そして佼成ウインドの演奏会を選んでくださったということですので、皆さんの心に、“何か”を残したいと思っています。〈今日、来て良かったな〉と感じて帰ってもらえる演奏が大事になります。
2017年9月の第135回定期演奏会では、「この地球を神と崇める」(カレル・フサ作曲)を披露しました。1970年に発表された作品で、東西冷戦に伴う軍備拡大、地球環境の悪化に対する憂いをモチーフとしています。私は、楽譜から演奏表現を読み取りながら、当日はその恐怖をイメージしながら演奏しました。曲が終わった後、ホールには、何ともいえない重い雰囲気が漂っていたように感じられました。
作曲家が作品に込めるのは、明るい気持ち、前向きな願いばかりではありません。悲しみ、恐怖、苦しさ……時に人の心が沈むような作品もあります。どんな作品でも、聴衆の心に訴え掛ける演奏をして、喜んでもらいたいですから、全力を注ぐこと、準備を怠らないことを心がけています。
――そうした姿勢は楽団で共有を?
佼成ウインドから教わった姿勢だ、といっても過言ではありません。長野県飯田市の全ての小・中学生を対象にした音楽鑑賞教室が行われた時、私は佼成ウインドのエキストラとして演奏に参加したのですが、会場は、学校の体育館や講堂でした。コンサート会場としてつくられたものではないので、演奏に適しているとは言えません。ですから、佼成ウインドのメンバーは、現場に到着したら、ステージ上での音出しから念入りに会場の反響(跳ね返ってくる音)を確認し、それぞれ楽器の調整をします。そして、普段通りに黒いステージ衣装に着替えて、その時の一番良い状態で開演を迎えていたのです。
以前、青少年育成を目的とした演奏会に、別のある楽団の一員として参加したことがあるのですが、残念ながら、まるでやっつけ仕事のように、ただ現場に行き、音を出して、さっさと帰る姿を目にしたことがありました。その場で初めて、楽器の生演奏を聴く子もいるでしょうし、音楽を好きになってもらえる絶好の機会なのに、それを大事にしないなんて、私には考えられませんでした。そこで、中途半端な演奏をしたら、感動してもらえるはずがありません。子供は繊細で敏感ですから、大人の不真面目な姿勢、態度、雰囲気を感じ取ってしまいます。
いつでも、どこでも、誰に対しても、常に本気で取り組むのがプロである――飯田市での音楽鑑賞教室に加わり、佼成ウインドからはそうした楽団の雰囲気を感じました。当時はエキストラでしたから、自分が楽団に正式に所属するなら、子供たちに対して真剣に、全力で演奏する楽団でなければ嫌だと強く思う出来事でした。今、こうして、音楽家としての姿勢を教えてくれた楽団に在籍できているのは、本当に幸せなことです。