逃れられない苦も仏さまの贈りもの 教恩寺住職・やなせなな氏
人はなぜ死に、遺(のこ)された家族はなぜあれほど悲しむのか。奈良県にある教恩寺で生まれ育った私は、幼い頃、お寺に運ばれてくるご遺体を見て疑問に感じていました。祖母からは「人はみんな死ぬけど、仏さんの国に行くから大丈夫なんやで」と教えられていましたが、仏壇をのぞき込んでも仏さまの国は見えません。葬式を取り仕切るお坊さんになれば、答えが見つかるかもしれない、そう思い僧侶の道に入りました。
檀家(だんか)が少ない教恩寺では代々、お寺の仕事とは別の生業(なりわい)を掛け持ってお寺を守ってきました。私は歌が好きだったのでシンガー・ソングライターを目指しました。周囲からは無謀だと止められましたが、それでも時間を見つけては路上に立ち、人前で歌い続けました。しばらくは自分でも何を伝えたいのか分からないまま、がむしゃらに活動していた私に、歌手として届けたい思いを見つける機会が訪れました。
それは友人のお姉さんの死でした。友人のお姉さんは職場でのトラブルが原因で、拒食症に苦しんでいたそうです。死因は「飢え死にだった」と友人が嘆いていました。もっとできることがあったはずだと目の前で悔やむ友人に、「お姉さんは仏さんの国に行ったから大丈夫なんやで」と祖母のように声を掛けることができませんでした。ただ、歌でなら力になれるかもしれない、人の悲しみに寄り添う歌を書きたいという気持ちが、その時、心の奥底から湧いてきました。
友人のお姉さんは、もうこの世にはいませんが、いないからこそ、近くに感じることができる。“人は死んだらおしまいという命を頂いていない”。そんな思いを歌詞にしました。そして、歌はどんなに傷つき閉ざされた心の奥にも届く可能性を持っているのではないか、と思いました。「私の苦しみに寄り添ってくれた歌だった」と思ってくれる人が、たった一人でもいてくれたらいい。そのために、歌を仕事にしようと決意を新たにしたのです。4年半奮闘し、101回目のオーディションで念願のデビューが決まりましたが、プロとしての活動は長くは続きませんでした。