〈ひと〉本会「モンゴル看護師育成支援プロジェクト」1期生として看護師資格を取得し帰国した ガンチュルーン・サンブーさん(27)
人を育て、母国の医療の発展に尽くすことが私の使命
いつも手帳を持ち歩いている。どのページにも、ローマ字で記したモンゴル語と、ひらがなで記した日本語のメモ書きがびっしり。「先輩から、感動する言葉を教わったんです。えっと……」。取材中、そう言って何度も手帳のページを繰り、行ったり来たりするが、たどり着けない。病院での勤務中には、指導役の先輩看護師から「慌てず、慎重に」と口酸っぱく言われたと笑う。「でも大丈夫ですよ。『宗教で心を支え、医療で体を治す』。頭にはちゃんと入っています」。そう語り、はにかんだ。
立正佼成会「モンゴル看護師育成支援プロジェクト」の1期生として2010年11月に来日した。語学学校で2年間日本語を学び、佼成看護専門学校での3年間の教育課程を15年に修了した。この年、看護師国家試験に合格し、今年3月末まで佼成病院に勤務。このほど母国モンゴルに帰国した。
幼い頃から医療の道を志した。母が大腿(だいたい)骨を折り、長らく通院して苦労する姿を見て<治してあげたい>と思ったのが原点。モンゴル国立健康科学大学の看護学部に進んだ。日本への留学は、大学の先生からの勧めだった。「モンゴル医療の発展のため」と記されていた募集要項の文章に使命を感じ、家族に内緒で選抜試験を受験。合格を家族の説得材料にした。大学2年生、20歳の時のことだ。
研修で勤務した佼成病院では、数カ月ごとに診療科が変わった。循環器内科、集中治療室、緩和ケア病棟……。部署を移るたび、新たな医療用語に戸惑った。言葉の意味を理解するのにも苦労した。発音がうまくできず、聞き直されて悔しさを味わったこともあった。支えになったのは、佼成看護専門学校の同期生たちだった。帰り道、互いに失敗を打ち明け、愚痴をこぼし合う。向学心がうせなかったのは友の存在があったからだという。
帰国後は、モンゴルの新人看護師の高い離職率を改善するための研究を進めるとともに、教育者として看護師の育成に当たる。モンゴルでは、看護師が医師の補助役とされている。一人が受け持つ患者の数も多く、待遇も決して良いとは言えないことから、「厳しい職種」との印象が根強い。モンゴルが抱える医療上の課題に、看護師の育成と制度改善の両面から取り組むことが、自分の使命とも感じている。
「全ては患者さんのために」。日本で教育を受ける機会を与えられたことへの感謝を胸に、母国で新たな一歩を踏み出す。