特集◆相模原事件から1年――私たちに突き付けられたものは?(3) 仏教・山崎龍明師
自らも悪事を働く、その危険性を有しているとの意識を持って
――自らの心を見つめていく必要がありますね
まずは、被告のような意識が自身の中に全くないと言えるか、自らに問い掛けてみることが大切ではないでしょうか。
人間はどうしても自分と他人とを区別し、常に自らに優位なものの見方、考え方をします。それが差別や対立を招く原因になるのですが、「差別なんてしていません」と言いながら、実は無意識のうちに、社会悪の傾向に流されていたり、自分優位の考えをしていたりというのはよくあることです。
人間とは、誰もが縁によっては善き行いを取ることもあれば、とんでもない行いをしてしまう悲しみも持ち合わせた存在です。
これを、親鸞聖人の『歎異抄』では「さるべき業縁のもよおさば、いかなるふるまいをもすべし」という言葉で教えています。縁(契機)が和合すれば、何をしでかすか分からない自己。それが人間なのです。ですから、私たちは、自分もそうした可能性を有している「危機的存在」であるという意識を持ち続けて、自身を省みる心を常に忘れないようにしたいと思います。
――宗教者として思うことは?
「この変革の時代において最も悲劇的であったのは、悪い人たちの辛辣(しんらつ)な言葉や暴力ではなく、善人たちの恐ろしいまでの沈黙や無関心であった」。マーチン・ルーサー・キング牧師の言葉です。いのちの解放とよろこびが宗教の根本ですから、人間への抑圧や疎外といった状況に対して宗教者は沈黙してはなりません。いのちの尊さを伝え、尊厳が大切にされる社会や世界の実現に取り組んでいくことが、宗教や宗教者に求められている永遠の信仰課題だと思うのです。
プロフィル
やまざき・りゅうみょう 1943年、東京都生まれ。龍谷大学大学院修了。同大学、駒澤大学講師を経て武蔵野大学教授に就任した。現在、武蔵野大学名誉教授、世界宗教者平和会議(WCRP/RfP)日本委員会平和研究所所長。浄土真宗本願寺派法善寺で毎月2回、親鸞法話会を主宰する。多くの著書があり、近著に『平和への道――憲法九条は仏の願い』(樹心社)。