特集◆相模原事件から1年――私たちに突き付けられたものは?(2) ムスリム・河田尚子氏
差別心と向き合う
――実際に交わりの少ない社会ということですか?
はい。人と人との理解が深まるには、出会いや触れ合いが必要ですが、障害者の存在が見えづらい状況では、理解はなかなか深まりません。
昨年4月に「障害者差別解消法」も施行され、現代社会が障害のある人も、そうでない人も共に生きる社会を目指しているのは確かです。その一方で、現在、都心の朝の通勤時に、車いすの利用者が乗車するのは大変なことです。例えば、自分が満員電車の乗客であるとして、障害者が乗車してくることを、不都合に感じる心が自身の中にないか、一人ひとりが深く見つめる必要があるでしょう。そこに「分離」や「隔離」を仕方がないとする心があるのですから。私自身、そういう気持ちが全く無いと言えばうそになります。そのような心があるかを直視するのは怖いことですが、一人ひとりが変わらなければ社会は変わりません。
――自身でも気づかぬうちに人を区別している、という心を見つめ直すのですね
そうですね。これまで障害のある方を隅の方に追いやってきてしまったために、相手のことを正しく理解できない社会になってしまいました。「分からない」ということは、相手への恐れや差別を生む大きな要因になります。ですから、障害の種類や特徴、また、生活のどのようなことに不便を感じておられるかなど、知る努力が必要ではないでしょうか。
事件の報道では、被害者の名前が、一部の方を除いて公表されませんでした。これは、被害者とその家族のプライバシー保護という観点から配慮がなされたということでしたが、障害者を抱える家族の中には周囲の差別や偏見に苦しんでいる人がいらっしゃることの表れです。子供の障害が周囲に知れると、そのきょうだいの結婚に差し支えるという話も聞きます。
また、災害時には誰もが入れるはずの避難所でさえ、遠慮する家族がいます。私がお話を聞いた東北のある方は、発達障害の子供は慣れない場所だと叫んだり、歩き回ったりすることがあるので、他の方に迷惑が掛かるからと言って、壊れた自宅で生活を続けられました。多少でも理解があれば、切迫した避難所の状況でも、お手伝いをする方法が考えられるのではないかと思います。
今回は障害者に対する事件でした。しかし、これは人ごとではありません。私たちは皆、今は健康でも、明日どうなるか分かりません。何より、老いから逃れることはできず、年を取れば誰もが不自由になります。さまざまな立場の人と触れ合うことで、相手の思いやその家族の願いも理解し、人々の思いを想像する力も養われていきます。そういう環境ができていくことを願います。