人口減少時代の老い支度 身も心も健やかになる供養とは

私の老い支度

元佼成病院総婦長 島 身衣さん

看護師として、長らく医療現場に身を置いてきました。新人の頃に配属された外科病棟では、がんで亡くなる方が多くいらっしゃいました。当時の医療では患者さんはがんの告知をされず、病状が改善されることなく、不信、不安の中、死を迎えられたように思います。そのような状況の患者さんに関わることが怖くて、つらくて、逃げたかった気持ちがあり、病室から自然に足が遠のいていたように思います。

年月を経て医療が高度化し、患者さん自身が病状や治療法などについて説明を受けて、治療法を自らの意思で決定する権利の主張、また、生の尊厳や尊厳死の希望といった思いを発信されるようになりました。医療の側も、患者さんや家族の思いに耳を傾け、病名の告知、緩和医療、ホスピスなど、その人の尊厳を尊重すると同時に、患者さん本人が安らかな最期を迎えられるよう関わる体制へと進歩してきたように思います。

「老い支度を始めて残された人生を前向きに歩めるようになりました」と島さん

死の話は忌み嫌われるものですが、人は必ず死にます。最期をどのように迎えるか、迎えたいか。そこから目を背けることなく準備しておくことが大切です。

私は数年前、難病を発症し、医師から「突然死の可能性がある。遠出を避け、必要な準備をしておくことが望ましい」と告げられました。痛みなどの著しい自覚症状がなかったこともあり、「この年まで元気に生かして頂いたし、このまま苦痛なく逝けるのなら」と動揺せずに受けとめることができました。ただ、すでに夫を看取(みと)り、一人暮らしをしている私は、死を静かに待つだけでなく、動けるうちにやるべきことがまだ残っているように感じました。以前から“死の準備”について学ぶ機会があり、その必要性も重々受けとめていたので、さっそく準備に取りかかりました。それが私の“老い支度”となったのです。

公益財団法人「日本尊厳死協会」の会員である私は、まず、「高度医療は望まない、苦痛を取り除き自然にしてほしい」と意思を表しました。さらに、警備保障会社に日々の生存確認と万が一の時の対応を依頼。とあるNPO法人に、遺体の搬送や納骨といった死後に関わる一切と、死後の法的手続き、遺言書に基づく処理を委託しました。

こうした“老い支度”を通してその時々の自分の状況を客観視することで、今までの人生を振り返り、今あることに感謝ができ、残された人生を前向きに歩もうと考えられるようになりました。死を考えるのは悲観的と思われるかもしれませんが、私は“老い支度”を楽しむことができました。

開祖さまご入寂(にゅうじゃく)当時、総婦長だった私はご入寂前夜から開祖さまの病室で過ごさせて頂きました。翌朝、開祖さまは今までつぶられていた目を大きく開き、会長先生はじめベッドを囲む一人ひとりにあいさつをされるように、全員の顔を見回され、それを終えられると同時に、目をつぶられました。その瞬間、開祖さまのお顔の周りから光が放たれたようにお見受けしました。光に導かれるような、穏やかな最期でした。

開祖さまは以前、「為(な)すべきことを成して『バイバイ』と手を振ってさよならできるような生き方をしなさい」とご指導くださったと記憶しています。そのような最期を迎えられるよう、誰にでも平等に訪れる死を前向きに捉え、命に感謝し、“老い支度”を楽しみましょう。

プロフィル

しま・みえ 1941年、岐阜県生まれ。世田谷教会所属。58年、立正佼成会附属佼成病院(現・杏林大学医学部付属杉並病院)に看護師として入職し、87年、総婦長に就任。2007年、ケアマネジャーとして「さいたま妙松苑」に入職し、副苑長を経て08年から11年まで苑長を務めた。