人口減少時代の老い支度 身も心も健やかになる供養とは

多様化した社会と新しい供養のあり方

〈寄稿〉 ルポライター・切り絵画家 高橋繁行氏

(写真は本人提供)

墓じまいが急増している。二〇二二年度、年間約十五万件を超えた。過去最高という。

原因の一つに単身世帯、いわゆるおひとりさまの急増が挙げられる。四〇年前に比べるとおひとりさまは倍増した。老人二人暮らし世帯も含めれば、二〇三〇年には全体の実に六一%を占めるという(国立社会保障・人口問題研究所の調査)。私たちはまさに少子化・超高齢化する社会の渦中を生きている。

このまま進めば、先祖代々の墓を継承する墓守がいなくなると危ぶまれる。先祖を供養する心は失われていくのだろうか。

九〇年代、私は家墓に代わる墓に対する意識の変化を調べてみたことがある。散骨、樹木葬、手元供養という新しい弔い方を選んだ人がどのように供養したか尋ね、供養する心が失われたわけでないことを痛感した。

散骨は海や山に遺骨を撒(ま)く自然葬である。Kさんという夫を亡くした女性は、遺骨を夫婦が長年暮らしたロシアのネヴァ川、ガンジス川、夫の生まれたふるさとの川で散骨した。生前、夫は「家の墓に入りたくない」と言っていたが、仏教は好きで、念仏を広めた遊行聖(ゆぎょうひじり)、一遍に心酔していた。Kさんは夫の望む弔い方から、散骨という供養の仕方を選び取った。

散骨で手間のかかるのは、遺骨を細かく粉骨する必要があることだ。彼女はそれを葬祭業者任せにせず、夫が親しかった寺院を訪ね住職といっしょに砕いた。遺骨と真摯(しんし)に向き合うことで心から供養ができたという。

手元供養は石塔墓を作らずペンダントなどの小さな容器に遺骨を入れ、手元で供養する。亡くなったある女性は、生前「夫の家の墓に入りたくない」と言っていたが、「私が死んでも家族のそばで一緒に過ごせるなら、家墓に入ってもいい」と考えを変えた。彼女の遺骨は分骨され地蔵をかたどった置物に納められ、今もリビングのピアノの上から家族を見守っているという。

こうしてみると、新しい供養の模索は、明治以来の古い家制度に抑圧された女性の叫び声だった例が多い。家墓に入りたくないのは、がんじがらめの家族関係から解放を求める声であって、供養の心そのものが失われたわけでは決してない。

樹木葬は石塔を建てず好きな木を墓標に遺骨を埋葬する。遺骨はカロートのようなコンクリートの納骨スペースを設けず自然に還(かえ)り、肥料として地球環境保全にも貢献できる。新しい家族関係に対応した供養の仕方のひとつとして定着した感がある。

桜葬という樹木葬を推進した井上治代さんは、エンディングセンターを開設している。その終活大学校では、「LGBTの終活」という講義が行われた。

LGBTの人が死亡しても、同性カップルのパートナーは故人の親族として認められず、葬儀の参列を拒絶されるケースがあるという。その場合、同性カップルは同じ一つの墓に入り供養されることもないのだろう。そういうことが、今、日本の社会で起きている。

問題は、供養の心が失われてしまったことではなく、崩壊してしまった、あるいは大きな変化を遂げつつある日本の家族関係に対応した、新しい供養のあり方なのだと思う。

プロフィル

たかはし・しげゆき 1954年、京都府生まれ。ルポライター・切り絵画家。死と弔い関連の著書を手がける。『土葬の村』(講談社現代新書)、『看取りのとき』(アスキー新書)、『お葬式の言葉と風習 柳田國男「葬送習俗語彙」の絵解き事典』(創元社)、『近江の土葬・野辺送り』(サンライズ出版)ほか多数。絵本作家として切り絵絵本『いぶきどうじ~オニたんじょう』(みらいパブリッシング)。高橋葬祭研究所主宰。

【次ページ:私の老い支度】