大聖堂建立60周年特集 会員の感謝の声と法話でかみしめる

庭野開祖の本会創立の願いが込められた大聖堂(1965年10月1日撮影)

1964年5月15日、立正佼成会の庭野日敬開祖が願いを込め、全国のサンガ(教えの仲間)と共に約8年をかけて建設した本会の大聖堂(東京・杉並区)の落成式が執り行われた。本会会員の根本道場である大聖堂は今年、建立から60周年を迎えた。法華経の教相を具現したご本尊像「久遠実成大恩教主釈迦牟尼世尊」は今も、参拝する人に安らぎを与え、信仰者としての自覚と信念を呼び起こす。節目を祝う会員の感謝と誓願の声とともに、庭野開祖の法話を通して大聖堂建立の意義を改めてかみしめる。

大聖堂60周年を祝う会員の感謝と誓願の声

荘厳なご本尊さまに力を頂き

熱海教会女性会員(74)

約4年ぶりに大聖堂に来ました。前回は少人数でしたので、60周年という節目の日に教会の皆で参拝することができて、うれしさでいっぱいです。

体験説法に立たれた方と同じように、私の息子も不登校でした。口を出したくなることもありましたが、“仏さまにお任せする”との心で見守り続けると、息子は自分のペースで通えるようになり、最終的に専門学校まで進学しました。

残念ながら、息子は交通事故で20代の若さで旅立ってしまいましたが、教会のサンガはもちろん、参拝した大聖堂で出会った本部の方々に親身に寄り添って頂いたこと、そしてご本尊さまの荘厳な姿に力を頂いたことを強く覚えています。

なかなか頻繁に来ることはできませんが、大聖堂に参拝するたびに見守られている安心感を抱きます。その温かさを、私もサンガに少しでも届けていきたいです。

心を切り替えられる聖地

土浦教会女性会員(51)

毎月一度、都内の病院を受診する際、旧知のサンガと一緒に大聖堂を参拝しています。いつも東京に向かう列車の中で、仕事やお役についてお互いが抱えている悩みを語り合うのですが、大聖堂のご本尊に対面すると不思議に心が軽やかになり温かな思いに包まれます。幼い頃から幾度となく本部参拝で訪れた大聖堂は、私にとって、心を切り替えられる聖地なのです。

今年5月15日、本部のご命日式典にサンガと参列しました。式典終了後、60年前のまさに同じ日に、大聖堂の落成式が執り行われたことを知りました。偶然の巡り合わせに驚くとともに、信仰心があつく、私にご法を引き継がせてくれた祖母に改めて感謝の念が湧きました。

図らずも昨年から、私は全国聖壇修行のお役を頂いています。節目を迎えた大聖堂で、土浦教会のサンガとお役に取り組めることに有り難い思いでいっぱいです。

仏さまをいつも身近に感じて

バングラデシュ教会青年部長(33)
 
今年、初めて大聖堂を訪れることができました。バングラデシュに生まれた私にとっても、大聖堂は信仰の故郷に変わりありません。建立60周年というよき年に、お参りに来られたのは大変尊いことで、有り難さとうれしさで胸がいっぱいです。

バングラデシュ教会ではいつも、「仏さまが私たちを見守っている」と教えられてきましたが、この場所にお参りすると、本当にその言葉通りだという思いを抱きました。心に仏さまがいる――そう身近に感じたのです。同時に、心に仏さまを感じて身を委ねれば幸せになれると気づかせて頂きました。帰国してもこの感動は私の心に残り続けるはずです。

法華経の布教にまい進した開祖さまのように、私も青年部長として精進させて頂き、世界に感謝と慈悲の心を広めていきます。

サンガの願いが結集 胸熱く

湘南教会女性会員(107)

70年以上前に横浜教会で入会しました。当時は、長男の病を治したい一心で、足の悪い息子を背負い、神奈川から電車を乗り継いで東京の本部道場(本会発祥の地・修養道場)に参拝したことを覚えています。

入会の時におなかにいた娘が中学校に上がる頃、開祖さまが大聖堂を建設されるというお話が届きました。戦後の無一文からどうにか夫婦で生計を立てられるようになったのも、教えに出遇(であ)えたおかげさまだと思い、開祖さま、脇祖さまへの恩返しの気持ちで精いっぱいのお布施をさせて頂きました。商売をしていたので建設の勤労奉仕には参加できませんでしたが、娘は建設途中の大聖堂を見学するツアーに参加していました。待ちに待った大聖堂に初めて参拝した時の感動は今も忘れられません。

あれから60年。両先生が心血を注ぎ、全国のサンガが奉仕に励んで落成された大聖堂が、今もあの場所にあることを思うと、胸が熱くなります。高齢になり自分の足で大聖堂を参拝することは叶(かな)いませんが、いつまでも心の依りどころです。

参拝を心待ちにしていた時――

金沢教会女性会員(81)

大聖堂の坐床(ざしょう)で合掌し、ご本尊さまのお顔を拝すると、「よく来たね」とほほ笑んでいるように思え、胸がいっぱいになりました。今年の「降誕会」でのことです。

コロナ禍を経て、教会の本部参拝が今年の降誕会から再開されました。大聖堂に行くのを心待ちにしていた私は、昨年のうちに申し込みを済ませていたのですが……まさか、元日に能登半島地震が発生するとは思いませんでした。わが家は瓦が全て落ち、中規模半壊の被害を受けました。

それでも、教えに沿い、「今、命あることが有り難い」と受けとめ、心の支えにしてきました。

今回の参拝で、そうした感謝の思いをご本尊さまにお伝えできて感無量です。落ち込むこともありますが、「明るく前向きに」を胸に生きていこうと改めて決意しました。

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