人と人とのつながりが「いざ」という時、いのちを守る――信仰活動と防災力

須崎、久留米の両教会はフォローマップを活用した総手どりを展開。大規模災害時での対応に備える

立正佼成会では創立以来、基本信行の一つとして、人との出会いを機縁にして教えを学ぶ「手どり」修行を大切にしてきた。相手の生活状況や家族構成などを踏まえながら関係を構築していく「手どり」は、信仰活動だけでなく、“いざ”という時、安否確認や物資支援といった生命を守る「防災力」になる。地震、台風、噴火など、いつ起きるか分からない自然災害で、水や食料などの備蓄以上に不可欠なのが人とのつながりだ。緊急時の助け合い「共助」を念頭に置き、普段から総手どりに取り組む2教会の事例と識者の談話を併せて紹介する。

日常の中に防災・減災を組み込む「生活防災」が救命の鍵

京都大学防災研究所教授 矢守克也

(写真は本人提供)

防災の秘訣(ひけつ)は、「ふだん」と「まさか」の結びつきにある。「何十年も住んでいるけど災害なんてない」などと、「ふだん」油断していると、「まさか」の時のダメージはより大きくなる。他方、「ふだん」から体操や散歩を通して健康管理に気を配っていると、年齢の割に機敏に避難できた、つらい避難所生活も乗り切れたなど、「まさか」の時に役立つこともあり得る。「ふだん」の挨拶の習慣が、「ご近所の皆さん、もう逃げたかな」と、とっさに思えて、「まさか」の時の声かけにつながることもある。

ポイントは、「ふだん」と「まさか」の間に「一石二鳥」あるいは「二刀流」の関係をつくることである。体操や散歩は「ふだん」から健康づくりに役立つし、同時に「まさか」の際にも力を発揮する。「まさか」のためだけに始めたことはたいてい長続きせず、やがて「ふだん」から消えていく。皆さまにもご経験があるのではないだろうか。

もう一つ大切なことがある。「次善」(セカンドベスト)を目指す姿勢である。防災業界では、「万一のことがあったら」という思いから、「絶対安全」な「最善」(ベスト)が目標にされがちである。例えば、自治体が指定する避難所がそうである。命に関わる問題だから、これは当然のことである。しかし、落とし穴もある。高齢者や障害者とその家族の中には、「避難所は遠くてとても行けない」「自宅以外の場所で過ごすのは無理」という方も多いからだ。

そこで、筆者は、地域住民と共に、「二階まで訓練」「玄関まで訓練」など、比較的取り組みやすい訓練を提案してきた。高齢者、障害者などが被災するケースが多いにもかかわらず、通常の避難訓練のハードルが高すぎて、こうした人々がこれまで満足に訓練に参加できなかったからである。

たしかに、次善はあくまで次善である。しかし、何もしないと零点だが、何らかの対策をとれれば百点満点ではなくても合格点がとれることは多い。「次善」という一歩を、まずは踏み出してほしい。

プロフィル

やもり・かつや
京都大学防災研究所・巨大災害研究センター教授。博士(人間科学)。心理学や社会学の視点から災害と人との関係性について多角的に研究し、生活総体に根差した防災・減災実践を表す「生活防災」を提唱している。主著に『巨大災害のリスク・コミュニケーション』(ミネルヴァ書房)、『増補版〈生活防災〉のすすめ』(ナカニシヤ出版)など。

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