【特別インタビュー 第40回庭野平和賞受賞者 ラジャゴパールP.V.氏】 非暴力という希望へ踏み出す「徒歩行進」 互いの宗教を尊重し、課題解決の道を共に

行動

庭野 ダコイトを投降させたとお聞きしました。暴力の無意味さを理解し、武器を放棄するよう、どう導かれたのですか。

ラジャゴパール 直接顔を合わせて対話をしたのです。ダコイトが武器を放棄する代わりに、政府や警察は彼らを死刑にしないと合意しました。刑に服すけれど死刑にはならない、これは両者にとって非常に大きな決断でした。他にも、刑期を終えたら土地を渡して農業を行えるようにし、子供の就学をサポートすることも合意されたのです。

「銃の使い方しか分からない」と言う彼らに、私たちは相手の人間性を信じて語りかけ続けました。また、私たちがコミュニティーで行っていたユースキャンプのメンバーも彼らに「投降した方がいいよ」と話をしてくれました。このように、非暴力による対話や同世代からの呼びかけが功を奏し、約560人もが投降したのです。

写真左:庭野理事長

庭野 非暴力の精神で粘り強く交渉されたのですね。ただ、暴力を振るってきた人たちを社会が受け入れるのは簡単ではない気がします。

ラジャゴパール 実はこの物語の中に、もう一つ重要なポイントがあります。それは「和解」です。

ダコイトは重い罪を犯しました。彼らに大事な子供を殺された、生活を奪われたと嘆く人たちが大勢いて、皆が重い刑を望んでいました。そうした状況の中、私たちは、加害者と被害者が直接話し合うよう働きかけたのです。何度も会合を重ね、被害者の苦しみを知ったダコイトメンバーからは、最終的に「私はあなたの子供を殺しました。申し訳ありません」という涙ながらの謝罪がありました。それを聞いて村人も、「もういいです。忘れてください」と彼らを受け入れてくれたのです。抱擁を交わす両者からは恨みや憎しみは消えていました。

この時、本当の意味で争いが終わりを迎えました。非暴力によるアプローチは、投降だけでなく和解も構築したのです。

投降から50年、彼らは現地で今や、平和活動家の“顔”になっています。彼らの子供の多くは教育を受け、警察官や弁護士になった人も、農業を営んでいる人もいます。子供たちは皆、「父は多くの人を殺した」という過去と向き合いながら、「しかし、私は非暴力の価値が分かる」と胸を張って生きています。

庭野 赦(ゆる)し合う姿はまさに、法華経の「仏性礼拝(らいはい)」だと感じました。この経験から、青少年を育成するプログラムへと進まれたそうですね。

ラジャゴパール はい。インド各地で、教育を受けて社会を変えたいと思っている若者を対象に、10年間、トレーニングプログラムを実施しました。彼らは、社会に問題があることを知っているけれども、立ち上がる勇気がない。その理由として、問題を抱えるのは過去世からのカルマ(業=ごう)のせいだと信じていたわけです。そこで、まず、政治や経済の仕組み、教育や福祉といった社会制度についてレクチャーし、カルマが問題なのではなく、システムが格差や差別を生み出すことを伝えました。

ラジャゴパール氏

既存の社会福祉制度を使って生活を変えられる、これは若者にとって価値観の大転換でした。彼らは学んだ知識や新たな価値観を持って地域社会に戻り、今度は自分たちがコミュニティーの仲間をトレーニングしていきました。

彼らを通して各地のコミュニティーとつながった私たちは、さらなる非暴力の実践に踏み出しました。それが、農村民の生活や資源を守るための「徒歩行進」です。

庭野 エクタ・パリシャドの活動ですね。団体設立の経緯を教えて頂けますか。

ラジャゴパール エクタ・パリシャドとは、団結のためのフォーラムという意味です。つまり、法的な組織ではなく、ムーブメントを起こす集団行動を指します。インドの700を超える州や自治区の中には、いまだに土地や水、電気など生活の糧となる資源にアクセスできない人々がいます。多くが農民ですが、非常に貧しい生活を送っています。彼らのために非暴力による開発の支援を始めました。

私たちは、不当な扱いを受ける彼らが置かれた状況に抗議するため、非暴力によるどんな行動を取れるかと考えました。農民たちの意見は、「我々は皆、歩くことはできる」という力強いものでした。そして、14年にわたる徒歩行進がスタートしました。

今回、私は立正佼成会を訪れて開祖記念館を見学しました。庭野日敬師が、苦しんでいる人々のために教団を創立されたと知り、大変感銘を受けました。非暴力の先駆者であるガンディーもまた、自分よりも弱い立場にある人々のために行動するのだと言っています。我々の徒歩行進も、社会の中で虐げられた人々が幸福になるための挑戦です。

最初の行進は1999年から2000年に行い、3500キロに及びました。6カ月半の成果として、ゴールのマディヤ・プラデーシュ州で土地改革が実現しました。06年には首都デリーへと距離を伸ばし、参加者も2万5000人に上りました。

13年の徒歩行進では、土地取得に関する新しい法案が成立しました。農民の土地を、政府は合意なしに奪えないという内容です。こうした成果を着実に重ね、人々の非暴力による運動は社会を変えられると確信しました。

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