日本国憲法施行70年 「平和主義」は有効なのか?(2) 伊勢﨑・東京外国語大学大学院教授に聞く
平和を考えるとは、戦争について考えること
――「現実」が一人歩きしている状況ですね
平和を考えるとは、戦争について考えることです。しかし、日本では、そうではありません。9条の文言を存続させることだけに躍起になって、都合の悪いことから目をそらしている。乱暴な言い方をすると、戦争を考えないのは、9条のせいではないかとさえ思います。
9条は戦争を否定しているのですから、私たちは戦争とは何かを知っていなければなりません。かつて「宣戦布告」をすれば開戦できましたが、侵略戦争は日本国憲法が制定される以前から、パリ不戦条約ですでに違法化されています。第二次世界大戦後、国連が設立され、国連憲章で「武力行使の禁止」が定められて以降、一層できなくなりました。
武力行使が許されるのは、相手の侵略に対する自衛のみで、自国だけで対処する「個別的自衛権」と、同盟国と連携して守る「集団的自衛権」が国連憲章で認められています。ただ、「自衛」の名のもとに、多くの戦争が行われてきたことは事実です。
さらに近年、「国連平和維持活動(PKO)」の役割が激変し、各国の部隊が交戦の当事者になる事態が出てきました。1994年にルワンダでの民族対立で100万人の犠牲者を出した「ルワンダの悲劇」を受けて、国連では住民を「保護する責任」が強調され、住民を守るために、PKOが武力を行使しなければならなくなったからです。現在では、人道主義の立場から「先制攻撃」も辞さないことになっています。
先頃、南スーダンへの自衛隊派遣が問題になりましたが、PKOの現場は、時に交戦主体にならざるを得ない状況にあります。「非戦闘地域」や「現に戦闘が行われていない地域」といった説明は日本でしか通用しません。国会では、野党が安倍政権の姿勢を批判していましたが、派遣が決定されたのは民主党政権時です。
――日本はPKOに協力すべきですか?
すべきです、国連の義務ですから。ただし、これは、9条が大事なのか、それとも国際協調主義を重んじるのかといった二項対立の問題ではありません。両立させなければならないのです。日本は、国際社会なしには生きていけません。まして、日本は国連憲章で「第二次世界大戦中に連合国の敵国であった国」として「敵国条項」を課せられている、いわば“保護観察”の身です。国連憲章があるからこそ、われわれは侵略戦争をしないし、身分が保障されています。国連は、日本が存立していられる根拠なのです。
PKOには、「軍事部門」のほかに、「文民行政部門」「文民警察部門」「非武装軍事監視団」があります。本来、9条があるのであれば、自衛隊を「軍事部門」に派遣できるはずがありませんから、多くの先進国のように、軍事部門を除く3部門で協力すればいいのだと思います。
紛争を火事に例えると、PKOは消防活動に当たります。一方、貧困や紛争を出さないための「火の用心」となる予防も重要です。
内戦の起こる国は、資源に恵まれている場合が多く、利権が内戦の原因になっています。南スーダンはまさにそうですね。日本では、紛争国からの資源が入ってくることが問題視されない、先進国の中でも稀(まれ)な国です。欧米では不買運動が起き、紛争資源を使わないといった法律の制定もなされています。こうしたことに対する意識を高めて、貧困や紛争を生む「構造」の是正に、日本がその役割を発揮していくことが重要です。