一食啓発月間 アフリカへ毛布をおくる運動 日本の思いを届けた最終配付(後編)
2022年、最後のキャンペーンを終えた「アフリカへ毛布をおくる運動」(同運動推進委員会=JBAC=主催)。39年の歩みを締めくくるべく、ミッションチームの一行は3月17日、最後の毛布を配付するため、モザンビークに入国した。(前編はこちら)
3月18日、現地配付パートナー団体である共同体開発キリスト教協会(ACRIDEC)と共に、ガザ州のショングウェイニー老人ホームで最初の配付を終えた後、ミッションチームの一人、カメラマンが「会いたい」と嘆願していたある少年の元を訪れた。
今から6年前の2017年、「アフリカ毛布ボランティア隊」が配付活動で同国を訪れた際、生後一日の赤ちゃんに出会った。父親はおらず、母親はこの子を産んだ直後に命を落とした。当時、ACRIDECのジョアオ・デイヴィッド・ムトンベニ代表は、ボランティア隊に対し、「まだこの子には毛布は届いていないのです。この子に毛布が届けられる日が来るよう、どうか、皆さん、この活動を続けてください」と願いを託した。
それから6年。アフリカでは5歳未満で亡くなる子供が少なくない。当時のボランティア隊に参加していたカメラマンは、「あの子は元気でいるだろうか」と再会を待ち望んでいた。少年の元へ向かう車に毛布を積んで――。
車を降り、道のない草原で歩を進めると、小屋がポツリと見えた。そこで、あの時の男児(6)を中心に数人の大人たちが待っていた。彼は二人の兄と共に祖母に育てられ、すくすくと成長していた。チームメンバーが毛布を手渡すと、人見知りなのかメンバーを見つめるだけだったが、祖母(66)は、「皆さんのおかげで子供たちを育てることができます」と孫たちに手を添えながら応えた。
今回の渡航は毛布の配付以外に、もう一つの大切なミッションがあった。それは、毛布の活動終了を、20年以上パートナーとして連れ添ってくれた団体に改めて説明することだ。
19日、一行はACRIDECのスタッフが待つ事務所を訪れた。「この活動が終わるという話は聞いたよ」と、ムトンベニ代表が口を開いた。JBACから終了の知らせは届いたものの、多くの人の支えとなり、今も必要としている人がいる毛布の活動が終わるなんてうそであってほしいと願っていたそうだ。
根本昌廣JBAC幹事(立正佼成会参務)から、コロナ禍で毛布の収集が難しくなったことや、日本の毛布が厚み重視から薄くて温かいものへと変化し、アフリカの需要に合わないことなど、終了する理由を明かすと、現地スタッフたちは感謝の思いと共に、毛布を通してではなくとも、私たちとのつながりを持ち続けてほしいと口々に伝えてきた。「さようならは言わない。また、会いましょう」と。
洪水で避難生活を送る中で…
2月末から3月中旬にかけて、モザンビークやマラウイをサイクロンが襲い、各所で洪水被害が発生した。水が引かずに避難生活を強いられている人々がいることから20日、クリマ(KULIMA)のスタッフと共に、モザンビークで被害を受けたマプト州マグアニーニの被災地域や避難所を訪れた。渡航前はHIV陽性者や孤児、障害者などへの毛布配付が予定されていたが、サイクロンにより家屋をなくした人や仕事がままならない人などが多いことから、避難所2カ所を回り、毛布を配付することとなった。
避難所で出会った女性(56)は、「首まで水に浸かり、今も家に近寄れません。12人の家族と共に着の身着のまま避難してきました。この毛布で、家族の中で一番幼い孫を包んであげたい」と、毛布を受け取った。