【特別インタビュー 第39回庭野平和賞受賞者 マイケル・ラプスレー師】 傷ついた人々を癒す――自身の悲劇をきっかけに「治癒者」として

誰もが本来の望ましい生き方をできるよう寄り添う

庭野理事長

庭野 お話を伺い、立正佼成会の法座や体験説法と共通する部分が多いと感じました。法座は、複数の会員が車座になり、苦や悩みを打ち明け、周囲の人がそれに耳を傾けて、仏教による正しい生き方を互いに身につけていく場です。体験説法は、自身の人生や信仰の歩みを発表します。「記憶の癒し」ワークショップと形式は違っても、愛や慈悲、理解し合える仲間の存在が生きる力を与えるのだと再認識しました。

名称の「記憶の癒し」にはどんな意味が込められているのですか。

ラプスレー その答えとして、まず「紛争はなぜ世代を超えて続くのか」を説明します。紛争は多くの場合、人々の過去の苦い記憶と、ある感情――例えば憎しみや復讐心といった感情とがつながって起こります。

そうした感情を取り除かないことには、人はいつまでも過去にとらわれ、現在に、そして将来に悪影響を及ぼしかねません。被害者が、いつしか加害者になるという悲劇はそうして起こります。暴力の連鎖を止めるために、また、苦や悲しみを抱えた人が本来の望ましい生き方をできるように、過去の苦い記憶とつながる負の感情に対処する必要があるのです。

過去を変えることはできません。しかし、多くの人の支えや励ましによって見方、考え方が変わり、人生に意味を見いだすことができれば、記憶を整理し、自分の物語を書き換えることができます。「記憶の癒し」には、「過去のとらわれという呪縛から自らを解き放つ」という願いが込められているのです。

庭野 人々の苦と向き合っていく上で、宗教者にはどのような姿勢が求められるでしょうか。

ラプスレー師

ラプスレー 誰もが心の痛みや、精神的に弱い部分を持っています。ですから、人々に教えを説く宗教者といえども、自分の痛みや弱さを認め、それゆえに人の痛みを知って生き方を学ぶことができたといった自らの体験を多くの人に語ることが大切です。そうした経験や智慧(ちえ)を分かち合うことが重要だと思います。共に救いや癒しを求めて人生を歩む巡礼者の一人であると謙虚に振る舞うことが共感を呼び、多くの人に勇気を与えるのではないでしょうか。

また、宗教者は、相手が権力者であっても、真実を語ることが不可欠だと思います。特に社会の不正義に対しては声を上げなければなりません。抑圧を受けている人の痛みを知り、弱い立場に置かれている人の生活に目を向けて、平和を呼びかけることが宗教者の役割です。

そういう意味では、ジェンダー(性差)に基づく抑圧は、人類の歴史に残された最古の傷で、この改善に取り組む必要があります。また、母なる地球の環境をどう守っていくかは喫緊の課題です。人類が古代から伝えてきた共存の文化、宗教に根ざす共生の智慧を見つめ直し、地球環境に与えてしまった傷をいかに癒せるかを真剣に考えなければなりません。

未来のために現状をしっかり見つめる――その姿勢が大事だと思います。

庭野 本日は、どうもありがとうございました。

プロフィル

マイケル・ラプスレー 1949年、ニュージーランド生まれ。73年にオーストラリア聖公会で司祭となり、南アフリカに派遣された。反アパルトヘイト運動を続けていた90年、手紙に仕掛けられた爆弾で両手と右目を失う。この体験を経て、悲しみを抱えた人を癒す決意をし、南アフリカで「記憶の癒し」ワークショップを開始した。98年、記憶の癒し研究所を設立。現在、記憶の癒しグローバルネットワーク会長を務める。