「ウィズコロナ時代」へ 識者の提言(1)

新型コロナウイルスの感染拡大によって、人々の日常生活から世界経済に至るまで「想定外」の大きな変化が起きている。「ウィズコロナ時代」を迎えて、何を大切にし、どのような考えを持っていけばいいのか――今回は、2人の識者の提言(寄稿)を紹介する。

コロナ禍を生き抜く 東京大学名誉教授・小池俊雄

日本で生活する私たちが、「中国で原因不明の肺炎」という報道を通して新型コロナウイルス感染症を知ったのは、ちょうど1年前の正月明けでした。「ダイヤモンド・プリンセス号」での感染発覚と、その拡大・対応は2月初めでした。その後、社会は激変し、米国のジョンズ・ホプキンス大学の集計によると、昨年12月4日(日本時間)には世界全体で犠牲者が150万人を超えました。ワシントン大学の保健指標評価研究所によれば、200万人を超えるのは1月半ばと推定されています。我が国の比較的大きな政令指定都市が丸ごと消える規模です。

ウイルスの存在とその影響を理解できるようになったのは19世紀末ですが、その形状や構造が明らかになったのは電子顕微鏡の開発後であり、まだ90年足らずの歴史しかありません。記録に残るウイルス感染症の世界的大流行(パンデミック)は、約100年前に世界を襲ったスペイン風邪です。最近の研究では、世界全体で1740万人が犠牲になったと報告され、日本国内でも当時45万人の命が失われました。インフルエンザ、麻疹(はしか)、おたふく風邪、肝炎、ヘルペス等、比較的生活に馴染(なじ)んだウイルス感染症に加え、近年ではエボラ出血熱、デング熱、ジカ熱など、これまであまり耳にすることのなかったウイルスが原因の事象も発生しています。

その理由は、人間の活動がこれまで接触機会のなかった動物や昆虫が生息する自然領域にまで及んだこと、加えて、人々が国内はもとより世界中を頻繁に往来するようになったからだと考えられます。ウイルスは自己の複製、増殖を目的にして宿主となる動物や昆虫に入り込むので、宿主が死滅しないようにその病原性が加減されています。今回の新型コロナウイルスの場合も無症状や軽症の比率が高く、人間社会の危機意識や検査体制の甘さと相まって、ウイルスは世界全体に活動領域を広げたとも捉えることができます。

ワクチンが開発され、接種が始まり、予防の可能性が見いだされています。薬剤による治療も進むでしょう。しかし未知のウイルスに対してはもちろん、現在発見されている多くのウイルスに対しても予防法や治療法はまだ確立されておりません。対応すべき課題は数多くありますが、ここでは二点を強調させて頂きます。

第一は、科学的知見に基づき各自の基本的行動を見直すことです。新型コロナウイルスは脂分を多く含んだ膜に「スパイク」と呼ばれる突起が埋め込まれた構造になっています。したがって、エタノールのような有機溶剤や石けん等の界面活性剤を使うと脂分の多い膜は溶けてウイルスは無力になります。また、咳(せき)やくしゃみ、会話時の唾液の飛沫(ひまつ)は10分の1ミリから100分の1ミリ程度の水滴で、雲や霧のように空中を長時間漂い、この水滴の中にウイルスが多く含まれます。この飛沫はマスクで防げますし、換気を良くすることで感染の危険性は減ります。これらを理解して、手洗いや三密(密集、密接、密閉)回避の確実な実施が必要です。

第二に、この危機的状況の中にあって私たちが生活を維持できるのは、多くの方々の献身的努力の賜物(たまもの)で、とりわけ医療現場と保健医療行政の方々の緊張と疲労は限界であることの理解が必要です。立正佼成会のロータス特別奨学生制度の一期生で、現在、救急医療の最前線で活躍されている土屋光正医師のお話を伺う機会がありました。高い医療能力と強い信念、卓越した体力の持ち主である同医師より、「ダイヤモンド・プリンセス号」の対応以来、切れ目なく加重な救急・救命対応が必要という苦渋の言葉をお聞きし、ただならぬ事態と震撼(しんかん)致しました。

「災禍」という言葉の「災」は地震や豪雨など避けられない災難に使われ、「禍」は工夫や努力で被害を緩和できる場合に使われるようです。あまりに大きい犠牲に思いを致し、積み重ねられた努力に敬意を払い、私たち一人ひとりがこの災難の本質を理解しながら行動の輪を広げてコロナ禍を生き抜き、「禍(わざわい)を転じて福となす」となるよう、社会・経済活動の新たな姿を描いていきたいと思います。
(工学博士=専門・水文学、災害科学)

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