エッセー「スポーツは世界共通語」 日本オリンピック・アカデミー理事/日本スポーツ芸術協会理事・大野益弘氏

2004年のアテネ夏季五輪の開会式 ©PHOTO KISHIMOTO

今年7月から東京でオリンピック・パラリンピックが行われる。そのオリンピックの提唱者・創始者が、フランス人のピエール・ド・クーベルタンであることはよく知られている。

1863年にパリの貴族の家に生まれたクーベルタンは、20歳の頃から教育者としての道を歩みはじめた。彼はイギリスのパブリックスクールでスポーツを教育に活用していることを知り、視察に行く。そこで見たものは、スポーツによって困難に立ち向かう精神や勇気を身につけた少年たちの姿だった。

ピエール・ド・クーベルタン

若者の教育にスポーツが必要であることを痛感したクーベルタンは、以前から興味をもっていた古代ギリシャの歴史を重ね合わせた。その結果、紀元前776年に始まったといわれる古代オリンピックを近代に復活させ、スポーツを通じて若者の教育を行うことを考えた。

1894年、クーベルタンはパリ大学ソルボンヌ大講堂に、欧米各国の貴族やスポーツ関係者を招き、古代オリンピックの復興、つまり近代オリンピックの創設を説く。これが支持され、国際オリンピック委員会を創設。1896年第1回アテネオリンピックの開催が決まった。

実は19世紀のヨーロッパでは、いくつかの国でオリンピックと名の付くスポーツ大会が催されていた。ギリシャで19世紀中頃に行われたのは、資産家のエバンゲリス・ザッパスが莫大(ばくだい)な資金を投入して開始された「ザッパス・オリンピック」。イギリスでは「コッツウォルド・オリンピック」や「マッチウェンロック・オリンピック」が開催された。当時の古代ギリシャ遺跡ブームによって古代オリンピックの存在が注目された結果、スポーツの大会に「オリンピック」の名を冠すことが流行したのである。

しかし、それはクーベルタンが始めようとした近代オリンピックとは、決定的に異なっていた。これらの大会は、あくまでも国内のスポーツ大会だったのだ。

クーベルタンは少年時代、普仏戦争で敗れ、生活や心が荒廃していくフランス人の姿を見た。さらに、パリ・コミューンの内戦で死者を間近に見たことで、戦争の悲惨さを痛感し、平和の大切さを知った。それが世界平和のためにスポーツを役立てようとした原点だったのだ。

1986年、ギリシャ・アテネで行われた五輪の開会式。近代五輪最初の大会として開かれた

ここでクーベルタンは、平和と若者を結びつけた。

他の国に対する無知や無理解から戦争は起こる。若いうちから他の国の人と出会い、理解し合えば、戦争は起こらないのではないか。そのためにはスポーツがいい。同じルールのもとでフェアに競技を行うことで、選手同士は分かり合える。スポーツで対戦するのは「敵」ではなく「相手」である。相手がいなければスポーツは成立しない。相手は仲間なのだ。言葉が通じなくても、スポーツでは相手とのコミュニケーションが可能になる。スポーツは世界共通語なのだ、とクーベルタンは考えた。

そのスポーツによる相互理解を実現するには、一つの国でスポーツ大会を行うだけではいけなかった。毎回、開催地を変え、さらに世界中から若者に参加してもらうことが不可欠だった。第1回アテネ大会が大成功し、ギリシャ国王が毎回オリンピックをアテネで行いたいと言ったとき、クーベルタンは反対して席を立った。オリンピックは平和のために、世界各国で行われなくてはならない。

そのルールは今も受け継がれている。

2018年平昌(ピョンチャン)冬季オリンピックのスピードスケートで見た、小平奈緒とイ・サンファ(韓国)の友情。今年の東京でも、そんな感動のドラマをぜひ見たいものである。

2018年の平昌冬季五輪スピードスケート女子500メートルのレース後、イ・サンファ選手を抱擁する小平奈緒選手 ©PHOTO KISHIMOTO

プロフィル

おおの・ますひろ 1954年生まれ、東京都出身。筑波大学大学院人間総合科学研究科修了。ノンフィクションライター・編集者、株式会社ジャニス代表として活躍するほか、現在、日本オリンピック・アカデミー理事、日本スポーツ芸術協会理事を務める。オリンピック関連書籍の編集を多数経験。著書に『オリンピック ヒーローたちの物語』(ポプラ社)、『クーベルタン』(小峰書店)、『ミスター・オリンピックと呼ばれた男 田畑政治』(講談社)などがある。