WCRP/RfP日本委の「震災から9年目をむかえる宗教者復興会合」から セッション1「『失われたいのち』への追悼と鎮魂」

セッション1では、慰霊の取り組みや復興支援活動などが発表された

世界宗教者平和会議(WCRP/RfP)日本委員会による「震災から9年目をむかえる宗教者復興会合」が3月13、14の両日、宮城・仙台国際センターで開催された(ニュース既報)。当日は、同委員会による復興支援活動の基本方針「『失われたいのち』への追悼と鎮魂」「『今を生きるいのち』への連帯」「『これからのいのち』への責任」をテーマに、三つのセッションが実施された。内容を3回にわたり紹介する。

被災者に寄り添う支援と慰霊とは

「『失われたいのち』への追悼と鎮魂」のセッションには、「遠野まごころネット」の臼澤良一理事長、河北新報の松田博英・秋田総局長、日本基督教団石巻栄光教会の川上直哉牧師がパネリストとして出席。同日本委東日本大震災復興タスクフォース前責任者で、日本キリスト教協議会の前島宗甫元総幹事がコーディネーターを務めた。

震災発生から8年が経過し、被災地を取り巻く状況は大きく変化している。支援活動や報道に携わってきた3氏は、それぞれの立場から犠牲者への慰霊、被災地の現状などについて語った。

臼澤氏は、2011年から毎年8月11日に開催している「三陸海の盆」に触れ、この取り組みが、震災の風化を防止する一助になっていると説明。被災者と支援者が協力して地域の郷土芸能を披露し、犠牲者に鎮魂の歌と踊りを捧げていると伝えた。

また、取り組みの背景には「苦しい時ほど踊りを絶やすな」という先人の言い伝えがあるとし、三陸海の盆は、郷土芸能を通して住民同士のつながりを強め、復興に向けて気持ちを新たにする機会になっていると話した。

さらに臼澤氏は、地域コミュニティーの崩壊により今も「孤独」を感じる被災者が多いとし、「『ちむぐりさの心』という沖縄の言葉は、相手の苦難を見て、身がちぎれるほどに心が痛むという意味です。この心を持って支援に当たることが大事」と力説した。

松田氏は、15年に「河北新報」で連載した「挽歌(ばんか)の宛先 祈りと震災」(全62回)に、編集部のデスクとして携わった。発表では、宗教者が震災に直面した時、自らの信仰姿勢を問い直しながら神仏に祈りを捧げ、被災者に寄り添う姿を記事にしたと述べた。

加えて、医師の岡部健氏の構想を基に、震災後に誕生した「臨床宗教師」の取り組みを連載の最重要テーマの一つにしたと説明。「死に近づくつらさや心の痛みを医者にはどうすることもできない。あの世を語れるのは宗教者だけだ」という同氏の言葉を紹介し、生と死を語る宗教者だからこそ、被災者の心のケアに当たることができると強調した。その上で、連載のあとがきを引用し、「宗教的立場から未曽有の大災害とどう向き合い、どう寄り添っていくかの答えは、心のケアという一般化された表現の次元にはなく、もっと奥深いところにあるような気がする」と見解を示した。

川上師は、身元不明者の弔いを大切に活動してきたこれまでを述懐。「弔う」とは、訪ねることの古語である「とぶらう」が語源であり、「弱きを訪ね、その存在を喜び、その尊厳を確保すること」を自らの心に刻み、今も慰霊の誠を捧げていると述べた。

一方、長年の支援を通して交流を深めている福島県の人々の心情を紹介。多くの人が東京電力福島第一原子力発電所事故の影響による健康不安を抱えながらも、それを話せずにいるとし、自分にはその代弁者の役割があると語った。

最後に、支援を続ける上で、希望を失わないことが大切と強調。被災者がつらい気持ちを表に出せ、互いを励ませる機会を継続して設けることが重要になると訴えた。