特集・第10回世界宗教者平和会議世界大会に向けて WCRP/RfP日本委「平和大学講座」で光祥次代会長が基調発題

「平和大学講座」の基調発題に立つ庭野光祥次代会長(3月7日、大阪カテドラル聖マリア大聖堂で)

『慈しみの実践――共通の未来のための宗教者の役割を考える』をテーマに、世界宗教者平和会議(WCRP/RfP)日本委員会の「平和大学講座」が3月7日、大阪市中央区の大阪カテドラル聖マリア大聖堂で行われた。講座では立正佼成会の庭野光祥次代会長(WCRP/RfP国際共同議長、同日本委員会理事)が基調発題に立った。内容を紹介する。

光祥次代会長 基調発題(抜粋)

第10回世界宗教者平和会議(WCRP/RfP)世界大会は、本年8月20日から23日までドイツのリンダウで開催されます。今回、ドイツ政府は外務省を通じ、多額の資金助成をしてくださいました。これはドイツ外務省にとって、歴史的な一歩だといわれています。それは、平和構築の分野で宗教コミュニティーとパートナーを組むという、これまでにない独自の重要な取り組みだからです。

大会テーマは『慈しみの実践――共通の未来のために/Caring for Our Common Future: Advancing Shared Well-Being』。テーマに「Care」という言葉が使われたことがとても印象的です。Careの意味を考える一つの視点として、CareとCureの違いについて見てみます。

英語のCareは、語源的には「悲しみ、叫び」という意味で、ここからCareのイメージは「何か悲しくなるものを見た時に声を上げんばかりに心から心配していること」「自分の気持ちがその方向に向いていること」となり、「共感」や「注意」の概念にもつながります。それに対してCureはHealingを意味するラテン語のCuraに由来し、「治療、矯正、治す」の意味になったようです。

次に語法を見ると、Cureは他動詞でCareは自動詞です。Cureの動作が働き掛ける対象は、病気や痛み、病人で、Cureの主体となるのは医者や薬など、病気を治療したり、治癒させる能力を持った人や手段で、CureするものとCureされるものが入れ替わることはありません。

それに対し自動詞Careは状態を表し、対象に直接働き掛けることはありません。さらに語源から考えると、Careする主体が「悲しんで」いて、Careする対象に心を向け、手当てしようとする。それによって、その行為者自身が「悲しみ」を克服し、癒やされ、幸福に満たされる可能性がある。これがCareです。

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