被爆体験を後世に ヒロシマの実相を伝える、三人の平和の祈り
当初、「私にできることなら」と、あまり深く考えずに朗読を引き受けた梅津さんは、証言を重ねるごとに、岡さんの訴えをしっかり伝えることができているのだろうかと不安になっていったという。ある時、波多野さんに「岡さんがあの日、あの時に体験したことは、岡さんにしか分からんもんですよね。戦争を体験しとらんもんが語ってええんじゃろうか、と不安な気持ちがあるんです」と打ち明けたことがある。これに対して波多野さんは、「誰が岡さんの話を伝えていくんかね」と問い返した。
被爆者は、何年経っても原爆投下直後の悲惨な光景がよみがえり、フラッシュバックして胸が苦しくなるといわれる――本来なら忘れたい、語りたくもない記憶を伝え続けてきた岡さんの思いをしっかり受け継いでいかなければと、波多野さんは自身にも言い聞かせるようにそう発したのだった。岡さんの証言を繰り返し聞いてきた梅津さんは、「戦争はしてはいけない」「核兵器をなくす」という岡さんの平和への願いをもう一度胸に刻み、朗読を続けてきた。
岡さんは証言の最後に、必ず「伝えていってくださいね」と聴衆に語り掛けていた。波多野さんも同様だ。また、岡さんは生前、「毎朝仏壇で拝む時、一日でも長く証言できるようにお願いしているのよ。90歳になっても100歳になっても、できる間はさせてもらいたい」と口にしていた。それを知る波多野さんも、「身体が動く限り、伝承は続けていきます。聞いてくれる人がいなければ私たちが伝える機会はないから、話せることに感謝の思いを持って、伝えていきたい」と話す。そうやって蒔(ま)かれた平和の種は、人々の心に根づき、確実に芽を出している――。
2017年6月2日付の「中国新聞」に、岡さんの訃報を聞いて、「私が出来るかぎり、伝えていきたいと思った」と中学生の投稿が掲載された。HRCPにも、証言を聞いた多くの子供たちから「伝えていきます」と誓いの言葉が寄せられている。
最近、学生に交じって講話を聞いていた女性から「波多野さんのそばには、岡さんが立っておられます。どうか自信を持って、若い人たちに語り継いでいってください」とのメールが届いた。波多野さんは、「そのメールに背中を押され、やっと岡さんの依頼に応えられたような気がして、うれしかった」と語る。
広島城の二の丸から橋を渡って本丸に入ったすぐ右手(東側)に石段がある。それを上った所には、今は、大きなエノキと、その根元にクチナシが植わっている。それは、かつて岡さんが友達と過ごした学徒通信隊宿舎があったことを忘れないように、そして、亡くなった友達の慰霊と平和を願い、岡さんが女学校の同級生と共に、植えたものだ。
波多野さんと梅津さんは学生たちを旧防空作戦室に案内し、時々、この木々にも立ち寄る。「自分と同じ思いを後世の人にしてほしくない。戦争は二度としてはいけない」――岡さんの思いを大切にして、「多くの人に伝わりますように」と願いながら、今日も二人は伝承を続ける。