【特別インタビュー 第35回庭野平和賞受賞団体・アディアン財団 ファディ・ダウ理事長、ナイラ・タバラ副理事長】 中東・レバノンなどで共生教育の普及へ

庭野 キリスト教では他者への無償の奉仕を「神の愛の実践」として行います。共通善は、「神の愛」とも言い換えられるのでしょうか。

ダウ 市民教育で用いられる「共通善」は、宗教教育においては「神の愛」とも表現できるでしょう。ただし、アディアンでは、一致という考えより、「他者は自分とは違う」という前提で理解を深める、いわば多様性の尊重を大切にしています。

例えば、宗教の違い――これ自体が、神が私に与えた愛の道だと考えるのです。私はキリスト教徒ですが、他の宗教の教えやそれを信仰する人々に接することで、新しい発見が数多くありました。他者と出会い、時間を共に過ごして理解し合う中で、神の愛を感じる場面があるのです。

ただ、残念ながら、信仰者の中には、違いを認めようとしない人がいます。なぜなら、自分の信仰する宗教こそ最善と思いたいからです。意識的にせよ、無意識にせよ、そこには傲慢(ごうまん)が生じています。他者の声に謙虚に耳を傾けることは難しいですが、それぞれが学び、体験することによって信仰の深まりがもたらされると思います。

庭野 私もイタリアに留学し、キリスト教を学ぶことで、仏教徒としての信仰が深まっていく体験をしました。ですから、他の信仰を持つ方々に対して敬意を表さずにはいられません。

世界には宗教が対立の道具とされる現状が依然としてありますが、宗教者がなすべき役割についてはどのようにお考えですか。

タバラ 自分の属するグループのためだけではなく、全人類のために働く、という意識を持つことが大事ではないでしょうか。宗教者、信仰者には、社会的な働きが今、求められていると思います。

ダウ 「宗教とは川の流れのようだ」。アディアンの仲間と話していると、よくこのことが話題に上ります。さまざまな宗教宗派がありますが、その根源は川の源流のように、元は一つだと私たちは考えています。この根源を神と形容できるかもしれないし、深い意味での霊的ないのちと呼べるかもしれません。

同じ場所から生じた私たち信仰者は、共通の使命を持っています。それは、平和を構築するという使命です。全ての信仰者は、救いを求める人々を支え、人々の権利や尊厳を守り、平和と和解を実現するパートナーとして協働する責任があるのです。

庭野 ありがとうございました。

(通訳・肥田良夫氏=株式会社ヒューテック)

プロフィル

アディアン財団 2006年、マロン典礼カトリック教会の神父で大学教授のファディ・ダウ師、イスラーム学専門の大学講師でムスリム(イスラーム教徒)のナイラ・タバラ氏ら異なる宗教を信仰する5人によって設立された。レバノンの公的機関や宗教機関と提携し、教育プログラムを開発するほか、アラブの13カ国で共生教育に関するプロジェクトを展開。17年、諸宗教理解の促進のために開設したウェブサイト「タードゥディア」のユーザー数は、2300万人に上る。