庭野平和財団GNHシンポジウム特集1 哲学者の内山氏を進行役に鼎談

幸せの再定義 どのような生き方を選ぶか

納戸 私は伊是名島出身ではなく、島の魅力にひかれ、23年前に移ってきました。非常に不便な島で、コンビニはありません。でも、代わりに朝起きると玄関先に野菜が置いてあり、野菜の種類で誰が置いていったかが分かるんです。「本島に出掛けるから一晩子供の面倒を見て」と頼めば、預かってくれる家庭がいくらでもある。島には目に見えない経済があるのです。

私たちの生活は、人を信頼する前提でできています。これこそが幸せな暮らしではないかなと常々思っています。

細金 私たちの村では、家や車に鍵を掛けません。民宿にもあえて鍵を付けていないんです。心配される方もいますが、これも地域性だと思いますので、そういう緩さも含め、お客さんに体感してほしいのです。

納戸さんがおっしゃるように、安全であることは幸せに生きることにつながっている気がします。村のじっちゃん、ばっちゃん、若い人、子供のみんなが安心して暮らせることが私たちの村の良さです。

哲学者の内山氏

内山 東京の僕の家のそばに、昔ながらの雑貨屋がありました。夏にはおじいさんがステテコ姿でうちわをあおぎながら座っているような感じです。現代の東京ですから量販店や雑貨スーパーも近くにありますが、そちらで目当てのものが売っていないと、雑貨屋に行くわけです。おじいさんに目当てを伝えると、「ありますよ」とか言って、積み上げられた箱からごそごそと商品を出してくる。

私たちはこれまで、店を拡大し、全国チェーンにしていく人が「成功した人」、おじいさんは「成功しなかった人」と扱われる時代を過ごしてきました。けれど、最終的にどちらが幸せな人生を歩んだのかなと最近考えるんです。

おじいさんが亡くなった時、しばらく娘さんが店に立っていたのですが、おじいさんの姿が見えないと、通行人の誰もが店に寄るんです。亡くなったと聞くと、お焼香のために家にあがり、「おじいさんには本当にお世話になりました」と言って帰っていく。おじいさんの雑貨屋は、町になくてはならない店でした。おじいさんは町の風土の中で自分の役割を果たして生きていたのです。

規模の拡大や成長ではなく、自分のいる場所でどう生きていくか。今後、さらにそうした方向へ価値が移っていくのではないでしょうか。

※特集2では、同日に行われた内山氏による基調講演を掲載予定