内藤麻里子の文芸観察
内藤麻里子の文芸観察(52)
2024年最初の1作は、音楽ミステリーを取り上げたい。逸木裕さんの『四重奏』(光文社)である。音楽を含めた芸術というものを我々は理解できているのかという命題を掲げ、理知的でありながら音楽のパッションにあふれた上質なミステリーになっている。
内藤麻里子の文芸観察(51)
井上荒野さんの『TERUKO&LUI(照子と瑠衣)』(祥伝社)は、上質な大人のおとぎ話である。はっちゃけた70歳の高齢女性2人の愉快な行動に目を奪われるが、その裏には辛苦をなめたこれまでの生活や、相方に対する思いやりが潜む。人生これからと励まされる物語だ。
内藤麻里子の文芸観察(50)
第二次世界大戦中のドイツ各地に、「エーデルヴァイス海賊団」という少年少女たちによる反体制グループがあったという。そんなことは全く知らなかった。逢坂冬馬さんの『歌われなかった海賊へ』(早川書房)は、そんな知られざる歴史的存在に命を吹き込んだ。さらに、彼らを取り巻く善良なる市民の罪深さも描き出し、我々に突きつけてくる。
内藤麻里子の文芸観察(49)
京極夏彦さんは1994年、『姑獲鳥(うぶめ)の夏』で鮮烈なデビューを果たした。以降、怪異が彩る事件の謎を古書肆(こしょし)の主、中禅寺秋彦が解いていく「百鬼夜行」という人気シリーズに成長した。『鵼(ぬえ)の碑(いしぶみ)』(講談社)は同シリーズの17年ぶり、長編10作目となる新作である。いつもの妖しく、惑溺(わくでき)させる雰囲気の中で、新しい時代の息吹を感じられる作品となっている。
内藤麻里子の文芸観察(48)
「総務省の調査によれば、全国の空き家数は二〇一八年の時点で八百四十九万戸だという」。これは重松清さんの『カモナマイハウス』(中央公論新社)で紹介される実態で、今や全国いたるところで空き家が目につく。かく言う私も親がいなくなったら実家をどうしたらいいか、今から不安を抱えている。本書はこの空き家問題と、定年後や子育て、親の介護を終えた後のロス問題に鋭くもコミカルに斬り込んだ。直視しにくい、重いテーマを軽やかに描くことによって、私たちに問題の所在をさらりと見せてくれる。
内藤麻里子の文芸観察(47)
須藤古都離(ことり)さんの『無限の月』(講談社)は、恋愛小説にして手に汗握る大救出劇、そして驚きのSF小説でもある。読み終えて、意識を変えることの難しさを突きつけられたような気がする。
内藤麻里子の文芸観察(46)
成田名璃子さんの『いつかみんなGを殺す』(角川春樹事務所)は、タイトルだけ見た時は本格ミステリーかと思ったが、さにあらず。いやはや豪快なスラップスティック(ドタバタ劇)だった。なにせ「G」とは、見たら誰しも悲鳴を上げてしまうあの昆虫「ゴキ……」のことなのだから。
内藤麻里子の文芸観察(45)
誤解を恐れず言えば、読み終わった時、まさか小説でお芝居が観られるとはという、いささか妙な感慨にふけってしまった。それが永井紗耶子さんの『木挽町(こびきちょう)のあだ討ち』(新潮社)である。
内藤麻里子の文芸観察(44)
砂原浩太朗さんの『藩邸差配役日日控』(文藝春秋)は、藩邸の「差配役」という、現代でいえば会社の“総務部”のような役職を創り出したことがお手柄の時代小説だ。連作短編で日々巻き起こる騒動をつづりながら、底に流れる陰謀を鮮やかに描き出す。
内藤麻里子の文芸観察(43)
犯罪に手を染めたり、犯罪者として糾弾されたりする人々に何が起きていたのか。川上未映子さんの『黄色い家』(中央公論新社)は、なかなか見えてこない彼らの裏側にある一つの類型に切り込んだ。それは、家にいられない少女たちが模索する生きる道であった。