分裂と憎悪を乗り越えるために 比叡山宗教サミット30周年 祈りの集いの講演から

『今こそ平和のために協調を――分裂と憎悪を乗り越えて』をテーマに、比叡山宗教サミット30周年記念「世界宗教者平和の祈りの集い」が3、4の両日に開かれた。国立京都国際会館での開会式典では、聖エジディオ共同体のアルベルト・クワトルッチ事務局長が講演。明石康・元国際連合事務次長とウィリアム・ベンドレイ世界宗教者平和会議(WCRP/RfP)国際委員会事務総長が基調講演に立った。それぞれの要旨を紹介する。(文責在編集部)

『アッシジから比叡山へ 東西の祈り30年を振り返って』
アルベルト・クワトルッチ・聖エジディオ共同体事務局長

東西を問わず、現代の政治は、真の意味での伝統を失ってしまいました。新しいものは、古いものよりも良しとされ、「古いもの」を抹消し、ルーツや歴史を持たない「新しいもの」を押し通すことが必要とされています。これが、現代の民主主義の秘める危険な、しかし魅惑的な力なのです。

諸宗教は自らの知恵で、世界を支配する者たちを助けることができます。人類の真の価値を発見し、伝統に目を向けつつ、正義をもとに平和に世界を治めるよう、政治家を導くことができるのです。

しかし、私たちは自分に問わなくてはなりません。アッシジから、比叡山に伝わったメッセージとは何か。諸宗教は、平和に向けてチャレンジすることができ、諸宗教対話は「共存の文化」を築くことができるというメッセージです。

ローマ教皇フランシスコは、「諸宗教は最も貧しき者、弱き者、苦しむ者のために最善を尽くし、正義に貢献し、和解を進め平和に導くことができる」と示しました。

対話が熟されていくことが必要です。他者を赦(ゆる)し尊重するだけではなく、平和を建設するために共に行動していくことが求められます。

暴力の根源は「恐怖」です。世界は恐怖に満ちています。時として、政治家は、「安全」に国を治めるため、恐怖心を利用して人々の間に壁をつくってきました。恐怖が増すにつれ、自分と異なる者に対し不信や憎悪が生み出されます。その矛先は、しばしば貧しくて社会的に少数派の人々に向けられ、彼らの自由を奪い、閉じ込めます。隔離された状態の中で過激主義が生まれます。過激主義は、自分たちを閉じ込める壁を破壊しようとする人々の必死な力の表れです。

宗教は、「恐怖」を介して人々を縛るのではなく、「喜び」で人をひきつけ、全ての人の協力によって「壁」ではなく、「橋」を架けていきます。諸宗教は、苦しんでいる者や紛争地にいる人々を保護することで、平和をもたらす母親のような存在と言えます。

対話は、哲学やアイデアではなく、人によって生まれます。諸宗教対話を語る上で、私は4人の宗教者を思い起こさずにはいられません。「アッシジ平和祈願の日」を提唱した教皇ヨハネ・パウロ二世と「対話」という言葉を初めて公式に使用した教皇パウロ六世、山田惠諦天台座主、立正佼成会の庭野日敬開祖です。

この偉大な人々は、諸宗教の間に、最初に「橋」を架ける勇気を持っていました。心を結びつける、平和を築く真の橋です。この橋には、平和のクラフトマン(職人)の賢い創造性が秘められています。

私たちの友好と平和への祈りがさらに育まれ、平和のクラフトマンによって広められることを心から祈ります。

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