立正佼成会 庭野日鑛会長 8月の法話から

「日月燈明如来」とは

詩人の山尾三省という方のご本にとても面白い、本当にそうだなと思うことがありました。法華経の序品に日月燈明如来という如来が登場し、この世界に初めて法華経を説いたと設定されております。山尾三省という方の解釈によれば、

「この世界に初めて法華経(久遠の法)を説いた日月燈明如来とは、太陽と月そのものにほかならず、太陽と月が物言わぬ如来として法を説いていることを、二万代にわたってそのもとで生きつづけてきた私たち人類の祖先が、ある時それと気づいたのである。太陽系という系の内にある限りは、私たちにとって根源の法(ダルマ)は太陽であり、月という惑星のバランスであるほかはない。

むろんそのことを古代人は、昼間の太陽、夜の月と観照したにちがいないが、そうであったとしてもその法の現代性はいささかも失われるものではない。私たちは、太陽を拝み、月を拝んで生きてさえいれば、生き方の根本においても、文明の方向性においても決して間違うようなことにはならない。

太陽と月を拝むということは、当然のことではあるがこの地球自体(大地自体・海川自体)を拝むことであり、拝むとはそれを深く大切にすること、尊敬(リスペクト)することにほかならない」

とのことです。お日さま、お月さま、そしてまた私たちが住む地球を尊ぶ大切さを、作者の方は、この序品から、日月燈明如来から受け取られたということであり、私は本当にそうだと思い、ご紹介した次第であります。
(8月15日)

「当たり前」は「奇跡」

熊本で地震があり、また今回は千葉でも水害があり、大変なことが起こっております。「朝の詩(うた)」(産経新聞)にこんな詩があります。


「水」

震災に遭われて
水道が止まり
たくさんの方々が
大変な苦労を
強いられた
再び水を得た方が
水道に手を合わせ
涙されていた

蛇口をひねれば
水が出るという
当たり前の暮らしは
奇跡に近い日々だと
気づかされた

蛇口をひねれば、いつでも水が出てきますが、私たちはそれを当たり前だと思って暮らしています。しかし、それは奇跡に近い日々だ、と。そう受け取らなくてはならないのではないか、と――素晴らしい詩だと思います。
(8月15日)

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