「正教会のコンスタンティノープル・エキュメニカル総主教バルトロメオ一世がテンプルトン賞受賞」など海外の宗教ニュース(海外通信・バチカン支局)

2019年、ドイツ・リンダウで行われた世界宗教者平和会議(WCRP/RfP)の第10回世界大会に出席したバルトロメオ一世

正教会のコンスタンティノープル・エキュメニカル総主教バルトロメオ一世がテンプルトン賞受賞

霊性と科学を通して人類の発展に貢献した指導者や団体に贈られる「テンプルトン賞」が、正教会のコンスタンティノープル(現トルコ・イスタンブール)・エキュメニカル総主教であるバルトロメオ一世に授与され、その授賞式が9月24日、米国ニューヨークで執り行われた。

1972年に創設された「テンプルトン賞」はこれまで、インドのコルカタで貧者と死を待つ人々のために生涯を費やしたマザー・テレサをはじめ、フォコラーレ運動の創始者であるキアラ・ルービック女史、そして、立正佼成会の庭野日敬開祖などに授与されてきた。

授賞式典の講演で、バルトロメオ一世は、相次ぐ戦争、進む環境破壊といった世界的な危機に直面する人類に対し、「良心、真理を覚醒させることによって、最後の一筋の希望を行動に移していこう」とアピールした。われわれの世代が、「無責任、あらゆる犠牲を払っての利益の追求、自己破滅の世代」として記憶されるか、それとも、「叡智(えいち)、ケアの実践、共通善へ向けての改革の世代として残るか」を問うバルトロメオ一世は、人類全体が「深淵(しんえん)に突き落とされないために、方向転換を迫られている」と警告。こうした状況下では、「科学と宗教との相乗効果が、人類存亡のために欠かせない要素となっている」とともに、「地球の未来が、科学の正確な方法と、霊性的なビジョンの感性を融合していくことにかかっている」と主張した。

一方で、「どんな暗黒の中にあっても、死が復活の可能性を含むように、おのおのの危機が一つの機会になり得る」とも言明。「グリーン(緑)の大主教」との異名を持つバルトロメオ一世は、環境問題に関し、代替エネルギーや持続性のある農業、再生プロジェクトといった知識、能力は既に存在するが、「欠けているのは、それを実行する意思の力だ」と指摘する。そのためには、人々が「安楽な噓(うそ)を信じるのではなく、困難な真理を選び、個人の利益ではなく、組織的な変革を選択していくという集団意思の確立が必要とされる」と訴えた。

さらにバルトロメオ一世は講演の中で、正教会の三つの教えを引用して環境問題への挑戦を提言するのだが、その内容は極めて仏教的な視点となっている。

第1の教えは、ギリシャ語で「nepsis」(意識を覚醒させている状態)。「周囲で起こっていることを、常に感知している、覚めた意識」のことを指し、仏教の「実相を見極めるために覚醒した意識」と重なる。バルトロメオ一世は「環境破壊の実相」は「個々に発生する単一の危機ではなく、組織的な兆候の現れ」だと話し、人類が「保護ではなく、利益を優先させ、結果ではなく、(現在の)安楽さを選択したがために発生している」と指摘した。

第2の「askesis」を、バルトロメオ一世は、「足りるということを発見する、喜びに満ちた自己規律」と説明。仏教の「少欲知足」と同様の意味を持つ。抑制のない欲望、際限のない消費と生産、ゴミという悪循環の輪を断ち切っていくことが重要だと語った。第3の「metron」は、「正しい尺度を持つ」こと。人類の繁栄と環境の保全の間に調和をもたらす「正しい尺度」は、「量よりも質、投げ捨てではなく持続、過剰浪費よりも知足」を選択させると明示。「終わりのない欲望の毎日から解放され、地上にある、どんな量の商品さえも提供することのできない、深い満足を発見する」ことでもあると、バルトロメオ一世は語った。

最後にバルトロメオ一世は、「相互関連神学」の必要性を訴え、「われわれの地球の保全と、その住民の福祉は、別々の問題ではなく、一つの現実の違った側面である」と主張。「環境正義と社会正義は、地球上の各々の生命の繁栄と調和を求める同じ努力に関する、二つの違った名前」であり、「人間同士の関係を癒 やすことなくして、人間と環境の関係を癒やすことはできず、社会的不平等を維持しながら、環境の持続性を構築することができない」のだ。

バルトロメオ一世は講演の結びに「真理は一つ。相互に関連し合う実在があるのみ」と語った。まさに、仏教の「諸法無我」の教えそのものと言える。

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