苦しむ人々に寄り添った教皇の葬儀(海外通信・バチカン支局)

聖母マリア大聖堂に眠る教皇フランシスコ

安眠する教皇フランシスコの遺体を護(まも)る棺は26日午前10時前、バチカン広場の階段上にある祭壇の前に安置された。広場のみならず、バチカンヘ真っすぐに向かう参道であるコンチリアツィオーネ通りをテベレ川沿いまで埋め尽くした約20万人の葬儀参加者たちの拍手が迎えた。

聖ペトロ大聖堂に向かって祭壇の右側の貴賓席には、アルゼンチンとイタリアの国家元首を筆頭とする使節団が着座し、12カ国の国王、52カ国の元首、15カ国の首相はじめ副大統領、副首相、議会議長、国際諸機関の代表者、閣僚らが葬儀を見守った。国家元首の中には、米国のトランプ大統領、フランスのマクロン大統領、ウクライナのゼレンスキー大統領、英国のスターマー首相の姿もあった。各国の元首らは同大聖堂に到着し、葬儀前に教皇の遺体に向かって弔問を行った。

この間、トランプ大統領とゼレンスキー大統領は、大聖堂内に二つのいすを並べて座り、20分間にわたり「有意義な和平折衝」(ゼレンスキー大統領)に臨んだ。ウクライナ支援有志国のマクロン大統領とスターマー首相も懇談した。教皇フランシスコは教皇特使を任命してウクライナ和平への道を模索し、バチカンにおける日曜正午の祈りや一般謁見(えっけん)の場など、あらゆる機会を通してウクライナ和平をアピールした。葬儀の場での和平外交は、それを象徴するものだった。ゼレンスキー大統領は、バチカン国務長官のピエトロ・パロリン枢機卿、ウクライナ和平のための教皇特使を務めるマテオ・ズッピ枢機卿とも懇談し、ロシアによって拉致されている多数のウクライナ人の子どもを解放するための調停を要請した。

教皇葬儀に教団を代表して参列した川本教区長(写真中央)

祭壇左側の貴賓席は、枢機卿によって占められていた。祭壇下の右側には、立正佼成会の川本貢市・東京教区長はじめ仏教、ヒンドゥー教、シーク教、ゾロアスター教の代表者、左側には30を超えるキリスト教諸教会やキリスト教の国際機関の代表者が並んだ。葬儀ミサを司式したジョヴァンニ・バッティスタ・レ枢機卿(枢機卿団主席)は、ミサ中の説教の中で、一週間前の復活祭に、「病苦にありながらも、聖ペトロ大聖堂の中央バルコニーから世界を祝福し、その後、教皇専用車に乗って広場に参集した信徒たちと、直接に出会うことを厭(いと)わなかった」と想い起こし、「自身の生命の末期を襲った弱さと苦しみにもかかわらず、教皇フランシスコは、この世での生涯の最後の日まで、自身の命を他者のために捧げることを忘れなかった」と讃(たた)えた。

バチカン広場での葬儀を終え、教皇の遺体は専用車に載せられ、バチカン周辺、ローマ市内の中心部に位置するベネチア広場、古代史跡のコロッセオを通過し、埋葬地の聖母マリア大聖堂(サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂)に到着した。約6キロの沿道には、15万人を超えるローマ市民や各国からの参拝者が、手を振り、拍手を送り、教皇の最後の旅の様子を見守っていた。聖母マリア大聖堂の入り口で、難民、生活困窮者や路上生活者たちに迎えられた教皇の遺体は、大聖堂内の彼の望んだ位置に埋葬され、中央祭壇上にある「ローマ市民救済の聖母画像」に護られながら、永眠の途に就いた。

27日からは一般信徒の墓参が開始されている。

葬儀のためバチカンに参集した枢機卿たちは28日、第5回目の枢機卿会議を開き、「教皇選挙(コンクラーベ)」を5月7日から開始すると決議した。同会議ではさらに、『カトリック教会と世界』をテーマに討議を重ね、必要な新教皇のイメージを模索している。

また、教皇選挙に向けての準備を進めている枢機卿団は翌29日に声明文を公表し、26日に執り行われた教皇フランシスコの葬儀に使節団を派遣したカトリック教会以外のキリスト教諸教会、ユダヤ教、イスラーム教、他の諸宗教への感謝を表明した。
(宮平宏・本紙バチカン支局長)