能登半島地震 金沢教会の被災会員への支援続く 真心込め手から手へ

金沢教会では、被災会員のニーズに沿った支援物資が保管され、会員の手によって届けられている

立正佼成会金沢教会では地震発生後から、支部長らが中心となり、教会の会員名簿を基に全世帯への手どりを進めている。会員同士が一層心を通わせ、つながりを強めるとともに、会員の安否や被災状況を確認し、必要な物資や困り事などを聞き取ることで、具体的な支援に結びつけることが願いだ。

一方、本会の災害対策本部(本部長=熊野隆規理事長)は現場から報告される被害状況に鑑み、長期的な支援を決定。1月3日以降も順次、本部スタッフを同教会に派遣し、向當亜希子教会長(北陸支教区長)、教会役員、現地教務員らと連携して、被災者のニーズに沿った物心両面での支援を展開している。

同教会の包括地域で被災の報告が集中するのは、内灘、河北、羽咋(はくい)、能登の4支部だ。特に能登支部は、津波や土砂崩れ、落石により幹線道路が損傷。緊急車両の往来を優先するため、発災直後から一般車両の通行が規制されたほか、警報級の大雪に見舞われたことから、物資を携えて手どりに向かうのが困難な状況が続いた。そうした中でも、会員たちはできる範囲での支援活動を行ってきた。

1月21日、河北支部の支部長(56)は主任(82)を自らの車に乗せ、主任の生まれ育った地区の会員宅を回った。地震による液状化現象で波打った道路を進むと、損壊した家屋が立ち並ぶ。主任はその光景を見て唇をかんだ。「故郷が一変し、この先、どうなるのかと不安で涙が出ます。でも、信者さんに会いに行くと、私も頑張らなきゃって思うんです。支部長さんが一緒に手どりに歩いてくれるのも心強くて、涙を半分にしてくれているような気がしています」。

飲料水、食料、簡易トイレ、オムツ……トランクに支援物資を載せて被災会員の元へ向かう会員

この日、支部長ら4人が訪れたのは、断水が復旧して間もない地域で、手どり先で支援物資を差し出すと「うちは大丈夫だから、もっと大変なところに」と断られることが多かった。支部長はそうした声に耳を傾けつつ、会員の親戚や友人、職場の同僚の被災状況に話を広げ、「身近に困っている方がいたら差し上げてください」と伝えて支援物資を託した。物資だけでなく真心を届ける――そうした取り組みが各支部で広がっている。

地道な手どりによって現在は、「避難所に身を寄せた」「地元を離れ、金沢市のホテルに二次避難している」などの会員の細かな状況が報告されてきている。今後は避難先に身を寄せる会員の元にも足を運び、安否確認を進める予定だ。

震度6強を記録した珠洲(すず)市に暮らす女性会員(67)は自宅が全壊し、自主避難所で1週間を過ごした。発災直後、大津波警報が発令されるや否や、夫と共に軽トラックで高台に避難。その後、比較的若い世代は隣町に開設された指定避難所に移ったが、女性会員は移動が困難な高齢者らと共に、近くの自主避難所に逃れた。身を寄せた住民50人の中で、女性会員は最年少だった。正月に帰省する子や孫のために買い込んだ食材を持ち寄り、自衛隊の支援が届くまでの3日間をしのいだという。避難所で調理や配膳、掃除などを率先して行っていた女性会員が最も大事にしていたのは「笑顔」だ。

「〈元気な私がなんとかせんと〉と心を切り替えました。自分が笑顔でいるのはもちろん、誰かがクスっと笑ってくれればいいなという一心で、冗談を言ったり、おかしなことを言ったりしていましたね。つらくて落ち込んでしまう気持ちはみんな同じ。だけど、佼成会で教わってきた『明るく、優しく、温かく』の言葉を思い出し、今、自分にできることをして、周りの人を元気づけたいと思っていました」。女性会員は現在、同県中央部に位置する津幡町の長男家族の家に夫婦で身を寄せている。

被災会員の要望に対して迅速に対応するため、「依頼書」を活用した支援活動が行われている

こうした状況を受け、本部派遣隊は被災会員の要望に素早く応じるため、会員の支援要請を直接受け取ることができる「依頼書」を教会役員と協力して作成した。これを基に、2月上旬から、青・壮年部員らと連携し、被災した会員宅での支援活動を実施。地震で転倒した家具の整理や運び出し、散乱した家財の片付けなどに当たっている。