「親子で取り組むゆめポッケ」概要発表 キャンペーン6月1日から

受益者コメント

レバノンの「社会福祉と職業訓練のための全国協会(NISCVT)」 カセム・アイナ代表

1999年からこれまで、日本の皆さんはレバノンにいるパレスチナ難民の子どもたちに、夢と希望にあふれたゆめポッケを贈り続けてくださいました。その数は約26万個に上ります。改めて心から感謝申し上げます。

レバノンでは、1948年のイスラエル建国によって故郷を追われ、難民となったパレスチナの人々が、今も12カ所の難民キャンプなどで生活しています。収入のほとんどは家賃に消えるため、人道支援団体などからの援助がないと生活していくことができません。また、キャンプ建設から70年近くを経て居住施設は老朽化し、衛生面についても劣悪な状況となっています。その上、最近は、内戦が続くシリアから多くのパレスチナ難民がキャンプに逃れて来るようになり、生活は厳しさを増しています。人々に市民権はなく、就労や教育の自由も制限され、資産を持つことも禁じられているため、青少年の多くは自分の将来に希望を持てないでいるのです。

そんな中で、「親子で取り組むゆめポッケ」を通して遠く離れた私たちの幸せを祈ってくださる日本の皆さんの存在は、私たちの心の中で大きな支えになっています。実際に、子供たちがゆめポッケを受け取り、中身を見た時の喜びようは大変なものです。贈り物に添えられる温かな気持ちが彼らの励みとなり、笑顔と幸せの源になっていると言っても過言ではありません。

次代を担う子供たちが元気を取り戻せば、パレスチナ社会の未来が明るいものになると信じています。ゆめポッケは、パレスチナの子供だけでなく、大人にとっても、生きる希望となっているのです。

これからも、パレスチナの人々に心を寄せ続けてくださることを期待しています。

パレスチナ・ガザ地区 アマル・アブ・モエリックさん(25)

私は9歳の時にゆめポッケを受け取り、その時に初めて日本のことを知りました。

ゆめポッケの中には、日本のアニメに関するおもちゃやシール、トランプ、鉛筆などと一緒に、日本の女の子が写っている一枚の写真とメッセージカードが入っていました。それを見た時、その子が心を込めてゆめポッケを作ってくれたことが伝わり、喜びの気持ちが込み上げました。

以来、そんなふうに私たちの幸せを願ってくれる人がいる日本のことが大好きになりました。鉛筆やシールを少しずつ大切に使っていたことを覚えています。ゆめポッケは私の宝物として、今も大切に持っています。

私の国には、戦争で身体に障害を負った人が多くいます。そうした人のために、現在、私は会社を興し、重い荷物を楽に運べる電動アシスト機能付きのキャリーカート(荷車)を開発しています。このように誰かの幸せを願える自分になれたのも、ゆめポッケに込められた“真心”を頂いたおかげだと強く感じています。

私の人生に素晴らしい影響をもたらしてくださった日本の皆さんに、感謝の思いでいっぱいです。

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