「学んだことを後世に受け継ぎたい」 現地での沖縄平和学習会が再び 

高校生たちは、「愛國知祖之塔」で慰霊の誠を捧げた

3月23日から26日まで、立正佼成会中京支教区の「沖縄平和学習会」(団長=増田貴正中津川教会長)が開催された。参加したのは、コロナ禍の中で入学した高校生たち。修学旅行といった学校行事が中止されるなど数々の制約を強いられてきた学生たちに、自分の目で見て、肌で感じる喜びを味わってほしいと、オンラインではなく現地学習が行われた。

一行は、苛烈な地上戦が繰り広げられた沖縄県南部を中心に、ひめゆりの塔や対馬丸記念館などを巡回。高校生たちが思わず「怖い」と声を漏らしたのは南城市にある自然洞窟、糸数アブチラガマだ。戦争が始まると住民の避難場所になったが、戦況が悪化するにつれ、日本兵の陣地壕(ごう)や倉庫、野戦病院として使われるようになった。時には1000人近い住民や負傷兵で埋め尽くされたという。戦況の変化により傷病などで移動が困難になった人々が置き去りにされた。

全長約270メートルの洞窟内は懐中電灯で照らしても、底なしの暗闇が続く。ヘルメットをかぶった一行は、語り部の吉村友香子さん(79)=沖縄教会=の後を必死についていく。洞窟内の一番広い場所に着くと、置き去りにされた人々の追体験をするために、吉村さんは灯(あか)りを消すよう促した。一行はまばたきしても変わらないほど真っ暗闇の中、死ぬ間際まで家族を思い続け息絶えた人々に向けて、唱歌「ふるさと」を心を込めて合唱した。

この時の体験を高校生たちは「歌った時、なぜか涙が止まらなかった」「灯りを消した時、とてつもない恐怖を感じました。あの中で取り残された人たちのことを考えると胸が痛みます」と話す。

壕を出た一行は、出口付近にある慰霊碑で慰霊供養を執り行い、折り鶴を奉納した。最後に吉村さんは、高校生たちと目を合わせながら「一人が一人に歴史をつないでいくことによって、平和の大切さを語り継げる人が100人にも1000人にもなる。ぜひここで学んだことを自分だけの財産にせず、多くの人に語ってください」と結んだ。

25日には糸満市摩文仁にある沖縄県営平和祈念公園などを訪れた。32府県の慰霊塔・碑がある霊域参道を歩き、「沖縄戦没者墓苑」、高校生たちの地元である「愛國知祖之塔(愛知県)」「岐阜県の塔(岐阜県)」「三重の塔(三重県)」で、慰霊供養を厳修。平和の誠を捧げた後、代表者が、戦争に対する疑問や怒り、平和の尊さについて率直な気持ちを発表した。

行程の最後の夜、一日の出来事を振り返る「夜のつどい」でのこと。班ごとの感想発表が終わると、高校生のもとに家族からの手紙がサプライズで渡された。行く先々で悲惨な戦争の歴史を学んだ彼らの心に、家族の言葉が染み渡った。皆、涙を流して手紙を読んだ。

「一生懸命に生きてください」と一言だけ書かれた父親からの手紙を受け取った安城教会男子学生部員(当時18)は、震える手で手紙を握りしめ、大事そうに見つめた。

今回、参加した高校生たちは、二年間オンラインで平和学習を重ねてきたメンバーだ。潮風の香りや洞窟内のひんやりとした空気など、実感を伴う学びが心に刻まれたという声は少なくない。

参加者の一人である松阪教会女子学生部員(16)は、戦争について尋ねると涙をこぼして口を閉ざす祖母の思いが気になり参加を決意した。女性学生部員は「オンラインの時は漠然とした恐怖しか感じませんでしたが、現地で学び、想像を超えた戦争の過去を知る中で、祖母が戦争について何も語らない気持ちが理解できたような気がします。今ある幸せを守り続けていくために、学んだことを後世に受け継ぎたいです」と話す。