年頭法話 立正佼成会会長 庭野日鑛

元気で精進を

身を修め、家庭を斉えることなしに国の平和、世界の平和はあり得ない

あけまして、おめでとうございます。

依然(いぜん)、コロナ禍(か)は続いていますが、街の中では徐々に普段の生活を取り戻している様子もうかがえます。感染には気をつけながら、一日一日を前向きに過ごしてまいりましょう。

ある調査によると、コロナ禍を機に大事にしたいと思うようになったものは、家族や健康、時間、信頼などでした。感染拡大を通して、大勢の人がこれまでの生活を振り返り、新たな価値観を身につけつつあるようです。私たちも、簡素(かんそ)を心がけ、本当に大事なことに集中したいものです。

一方、昨年は、ロシアによるウクライナ侵攻という緊迫した国際情勢に直面しました。すでに数万の人々が犠牲となっています。一刻も早く戦争が終結し、平穏な日常が取り戻せるよう、皆さまと共に祈りを捧げ、自分に何ができるかを考えていきたいと思います。

私たちがまず大事にしなければならないのは、一人ひとりの「内なる平和」でありましょう。戦争も突(つ)き詰(つ)めれば、人間の心の働きが引き金になるといえます。最近よく「あの国が悪い」「あの人は許せない」といった声を耳にします。素直な心情なのでしょうが、宗教的に大切なのは、自分自身の心が真に平和であるかを省(かえり)みることです。

日ごろ、周囲の人を言葉や行動で傷つけている人が、いくら平和を唱えても説得力はありません。常に「自分はどうなのか」「平和な心といえるのか」と内面に目を向けていくことが重要であります。

このような心の持ち方は、日ごろから身につけていくべきことです。身近な例を挙(あ)げれば、朝起きて、雨が降っていると、つい「悪い天気だ」などと言いがちです。目の前のさまざまな出来事に対して、いつも不平不満を抱き、否定的なものの見方をしてしまう習慣を変えたいものです。

それでも、戦争を起こす人は許せない、人を殺(あや)めたり、傷つけたりしてはいけないという義憤(ぎふん)に駆(か)られたら、何よりもまず「自分は絶対にしないぞ」と固く決意するのが、宗教的な態度であります。

加えて大事なことは、社会の最小単位である家庭の中で、ご宝前を中心にして、しっかりとした人間教育、人格の形成がなされていく「斉家(せいか)」(家庭を斉=ととの=えること)を実現していくことです。

儒教(じゅきょう)の『大学』に、「修身斉家治国平天下(しゅうしんせいかちこくへいてんか)」との一節があります。心を正し、身を修(おさ)め、家庭を斉えることが、国を治(おさ)め、世界を平和にすることにつながるという意味です。言い換えるならば、心を正し、身を修め、家庭を斉えることなくしては、国の平和も、世界の平和もあり得ないということです。このことをお互いさまにしっかりと心に刻みましょう。

さらに、これまで私は、日本の伝統を受け継いで、まず自分の国を良くしていく、立派な国を打ち立てていくことが重要であると申し上げてきました。

日本の国の特徴は、世界にも比類(ひるい)のない天皇・皇室を戴(いただ)き、そのもとに建国以来今日まで、国民が和となり、豊かな文化を築いてきたことにあります。その伝統を踏まえて、日本を立派な国にすることは、どんなに世界がグローバル化しようとも、一番足元の大事なことであり、それがあって初めて世界に通用するのだと思います。

日本は、上代(じょうだい)の頃、国名を「大和(やまと)」と定め、「大いなる平和」「大いなる調和」の精神を終始一貫することを、国家的な理想としてきました。

聖徳太子(しょうとくたいし)は、「和を以(もっ)て貴(たっと)しと為(な)す」という言葉を十七条憲法の第一条に掲(かか)げられています。

そのような伝統を受け継いで、日本の国をしっかりとした平和な国家にし、それを世界に波及(はきゅう)させていくことが大切であります。

そうした地道な努力の積み重ねの上に平和な世界は築かれるのです。

同時に心がけたいのは、私たち一人ひとりが、遠く離れた国々の出来事に対しても関心を持ち続けていくことです。そして、困難な現実に直面している人々のことを知り、思いを寄せ、苦しみや悲しみを分かち合うことから、深い祈り、次への行動が生まれます。

身近には、本会の一食(いちじき)を捧げる運動をはじめとする平和活動、WCRP(世界宗教者平和会議)や新宗連(しんしゅうれん=新日本宗教団体連合会)などの取り組みがあります。それぞれの立場で、主体的、自発的な姿勢で参加していきたいものです。

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