WCRP国際委・同日本委「『戦争を超え、和解へ』諸宗教平和円卓会議」第1回東京平和円卓会議の開会式、閉会式から

光祥次代会長スピーチ 万人を救う世界平和の旅を、すべての宗教者と

この三日間を通して私たちが実現したことは、立場の違いを超えてお互いの言葉に真摯(しんし)に耳を傾けることです。誰も排除せず、誰も席を立たず、お互いの苦しみを知り、言葉にできない心の痛みと叫びを聞き、たとえそれが全面的に受け入れられないことだとしても、共に居続けることです。それこそまさに、「平和はゴールではなく、それを目指す旅だ」という私たちの信念を体現したものだと言えます。

社会の成熟は、ものの見方や考え方の深まりによって促されます。たとえ物質生活が豊かになっても、利己的、排他的な思想では、平和は実現しません。自分と同じように他を慈しむ精神によって成り立つ社会を作る努力をするのが、私たちの務めです。そのために大切なのは譲る心です。国と国の対立も、家庭内の対立も、すべての争いは譲る心の喪失から来ています。

丸木橋の両側から二人の人が渡り始め、真ん中で出会う。お互い自分が先だと主張し、譲らなければ、一人が水の中に落ちる。あるいは、二人とも落ちるかもしれません。まるで子供のけんかです。一方が戻り、相手を渡してから自分が渡れば、言い争うよりずっと早く解決します。「人に譲っていたら損をする」と言う人もいるでしょう。けれど友人とのつきあいで損得を優先して一度も譲らない人がいたら、友人たちはその人から去っていくでしょう。

「譲る」とは信念を曲げることではなく、行為の上で譲ることです。これがあらゆる関係を平和に導きます。こだわりは、対立を長引かせ、決裂させ、皆が不幸になります。こだわりを横に置き、一度相手の立場に立って問題を眺めてみる――このような生き方ができれば、世界は少しずつ、けれど確実に変わります。

現在ではグローバル化が促進され、多くの人が当たり前のように「地球的視野」という言葉を口にします。しかし、世界の苦しみを本当に“自分ごと”とし、痛みを感じている人がどれほどいるでしょう。私たちに必要なのは自らの心を開き、歴史を乗り越え、世界を捉え直すことであり、対話・協力とは、それを心と体で学び取っていく経験です。

私たちはいつも内なる平和から始める必要がありますが、内なる平和の実現を待っていては手遅れになることもあります。家庭、社会、国家、地球と、対象が広くなるほど、平和の実現には時間がかかります。現実を前にすると、私たちは無力感におちいり、立ち尽くすこともあるでしょう。しかし、私たちに託されているのは、「今日これをすれば、明日にはこんな効果が出る」ということのない、気の遠くなる挑戦です。だからこそ神の永遠・永遠の仏を信じる私たち宗教者にその役割が与えられていると言えます。その長い旅路を、これからも皆さまとご一緒したいと、心から願っております。

最後に、私が大切にしている祖父の言葉で終わりたいと思います。

「救おうと思えば救えるものを、私たちは不可能としてあきらめる場合がありはしないかと反省したいと思う。すべての宗教者が、すべての姉妹、すべての兄弟を救うために、そして世界平和のために、力を合わせて立ち上がることに目覚めなくてはならない。仏陀(ブッダ)よ、私たちに勇気と、智慧(ちえ)と、調和の心をお与えください」