「朔日参り(布薩の日)」式典で庭野会長が法話 感謝で受けとめる見方を伝え

法話に立った庭野会長は、当たり前の有り難さに言及。物事を感謝で受けとめるとともに、そうした見方を周囲に伝えていく大切さを説いた

6月1日、立正佼成会の「朔日(ついたち)参り(布薩=ふさつ=の日)」式典が、大聖堂(東京・杉並区)で行われ、庭野日鑛会長が法話を述べた。式典の様子は、インターネットを通じて全国の会員にライブ配信された。

式典では、庭野光祥次代会長を導師に読経供養が行われた後、川崎教会支部長(62)が体験説法に立った。

支部長は、昨年7月に新型コロナウイルスに感染し、一週間以上、昏睡(こんすい)状態が続いた入院生活を詳述。意識が回復した直後に命がある有り難さを実感したことや、体が動く、食事ができるなど当たり前に過ごせる日々の尊さを感じた体験を語った。さらに、治療に当たった医療従事者や、帰りを待つ家族、祈願供養を通して回復を念じてくれたサンガ(教えの仲間)への感謝の思いを表した。

体調が回復した現在、サンガ一人ひとりを大切にして、支部長の役に努めていると話し、「昨年の夏に救って頂いた命、少しでもお役に立てるように精進いたします」と誓願した。

この後、法話に立った庭野会長は、支部長の体験説法から、当たり前に感じる日々の有り難さに言及。贈り物を表す「Present(プレゼント)」には「現在」という意味もあることに触れ、今ある日常や命を神仏から与えられた奇跡的なものと受けとめ、不平不満をもらす生活ではなく、感謝の思いで日々を過ごすことが重要と述べた。

また、水が半分入ったコップを例に、ものの見方を紹介。「半分しかない」「半分も入っていてうれしい」という見方に加え、「誰かが半分残してくださった」と感謝で受けとめる見方があると説明した上で、当たり前の有り難さや感謝で受けとめる見方を周囲の人に伝えていくことが、「私たち仏教徒としての大切な使命」と述べた。